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【 01 】 - 1

 

 たかが、キャベツ。されど、キャベツ。

 後一時間もすれば、夕飯の買い物客で混み始めるだろうスーパーの一角。一玉百四十八円と書かれた値札の前に立ち、そんな言葉を繰り返す。

 二十歳の大学生だからって、なめてもらっちゃ困る。俺にはもう、知識があるのだ。『美味しいキャベツの見分け方』。ネットで見たその情報が知識として脳に蓄積された今、何も知らなかった頃とは違う。今こそ、その知識を実践で活かす時。

 見極めてやろうじゃないか。どれが、より美味しく、より鮮度がいいキャベツかを。

 熱い思いを眼差しに込めて、右手に持ったキャベツの葉の緑の濃さをじっくり見調べていたら、横からフィーが呆れた声を寄越した。

「真生。どんなに見つめても、キャベツは高級肉には化けぬぞ」

「んなこと分かってるよ」

 誰もそんなことは望んでいない。というか、見つめて高級肉に変身する奇天烈なキャベツなんかあってたまるか。呆れた声に呆れた声を返せば、更に呆れた声が戻ってきた。

「キャベツ一玉に、何をそんなに迷うことがあるのやら。それにしろ、今持ってるやつ」

「これ? なんで? 根拠は?」

「お主に食べてもらいたいという気持ちが、他のより強い」

「なにその、可愛いようで切ない根拠」

 突込みながらも、もう一度しっかりとキャベツを見てから、左手に持っていたカゴにそれを入れた。その動作のついでというか流れで、ふとフィーに目を留め、思わず半目になる。

 いつのまにやら、大事そうにスナック菓子の袋を胸に抱いている。ずっと横にいたと思ったのに、いつのまにお菓子コーナーに行ったのか。まったく油断も隙もあったもんじゃない。

「フィー。その手に持ってるお菓子、元あった場所に戻して来い」

「えええ」

「えええじゃない。羊羹買ってやっただろうが」

「羊羹は私のだ。この菓子はシシィのだ」

「羊羹を二人で分ければいいだろ。元々あれは、切り分けて食べるものなんだから」

 きっぱり言い渡す俺に、フィーがきっぱりと言って返す。

「いやだ。私の羊羹が減る」

「知らねえよ。いいから、戻して来い」

 本当は、羊羹よりスナック菓子のほうが安いから、そっちにしてくれたほうが助かるのだけど、いかんせん、羊羹は大学の傍の和菓子屋で既に購入済みだ。この上、スナック菓子まで買い与えてやるほど、俺の財布は潤っていない。

 フィーは不満そうに口を尖らせていたものの、俺の意思が変わらないことを悟ったのか、渋々とスナック菓子を戻しにいった。その後姿をちょっとだけ目で追って、密かに小さな溜め息を零す。

 三月に起こった一連の出来事から約一ヶ月。フィーはあれから、変わった様子はない。変わらずに食べて、変わらずにお茶を要求して、変わらずにレネ探しを続けている。たまに寂しそうな表情を見せるものの、もう俺に対して過剰な心配をする様子はない。なのに、いまだ皐月さんは戻ってこない。連絡も、一切ない。

 もしかしたらという期待を胸に、週一で実家に戻っているけど、毎回出迎えてくれるのは、『都合により暫くの間、休業させていただきます』と、皐月さんの字で書かれた張り紙だけだ。警察に捜索願を出すことも一度真剣に考えたけど、近所の人もフィーもみんな、皐月さんは海外旅行に行っていると思い込んでいる。皐月さんと仲がいい近所のおじさんなんて、皐月さんがくじ引きで海外旅行を当てた時、隣にいたとまで話している始末だ。偶然道で会ってその話を聞かされた時、本当に吃驚した。恐らくそれも、皐月さんの言っていた暗示の影響なんだろうけど、ここまで来るとむしろ、フィー達じゃなくて俺の記憶がおかしいんじゃないかと不安になってくる。

 何がどうなっているのか、状況も行く先も全く見えない中、俺は、誰に打ち明けたらいいか分からない心配と不安を抱えたまま、普段通り日常生活を続けている。大学に行って、バイトに行って、レネ探しをして、その繰り返しだ。というか、それしか出来ない。フィーに変化がないこと、つまり、フィーに確かに暗示が掛かっているということだけが、唯一の心の救いと言ったら、フィーは怒るだろうか。

 

「で、今夜の献立は何なのだ?」

 お菓子コーナーから戻ったフィーが、レジに向かう俺の横を歩きながら、カゴの中身を見る。屈託のないその顔と声に、多少の後ろめたさを感じつつ、いつも通りに口を開く。

「野菜炒めと味噌汁」

「ほほう。コロッケか。それは楽しみだ」

「難聴にも度があるだろ。コロッケなんか作れるか」

「あそこに出来たのが売ってあるではないか」

 言って、お惣菜コーナーを指差すフィーに、さっきとは全く意味合いの違う溜め息が出た。

「フィー。あのな。お前の羊羹消費が半端ないおかげで、金がないんだよ、俺は今。給料日まで後何日あると思ってんだ」

「一個八十円のコロッケくらい、良いではないか。けちくさい。指輪の所有者ともあろう者が、そんなしみったれたことでどうする」

「どうもしません。つーか、一本八百円もする羊羹を人の金で毎日のように食ってるやつに、けちとか言われたくないんですけど。大体お前、食う必要ないんだろうが。一体何のために食ってんだよ」

「一言で言うなら、趣味だ」

 迷いのない率直な答えに、じとりとした目線を返し、空いているレジに進む。

「やめてくれない? その迷惑な趣味。お前に人間社会の金銭感覚が分からないのは仕方ないけど、俺はバイトで生活してる貧乏学生なんだ。食道楽のお前を養うような経済力はないんだよ」

 心の底から、溜め息混じりに吐き捨てた。そのまま、レジ台にがしゃんとカゴを置く。

 

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