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 どんなものにでも必ず、始まりがあれば終わりがある。

 それは、この世の理で。

 そんな当たり前のこと、分かりきっていたはずだった。

 

 

AUTUMN WIND

 

 

 後もうひとつのタイミングで、信号が赤に変わった。これで三回目だ。今日はどうも、信号運が悪い。頭で考えるより早く、舌打ちが口をついて出た。途端、助手席に座る人の気配が、僅かに硬くなる。

「あ、すみません」

 癖みたいなものでして。片手をハンドルに置いたまま、そう言って視線を横にやれば、いえ。と、小さく左右に頭が揺れて、柔らかくカールされた髪から、ふわりと甘い香りが漂った。

 煙草を吸わなければ開ける理由もなく、窓を閉め切ったままの車内に仄かに舞って沈んでいくそれは、おそらく、彼女の香水か化粧の匂いだろう。自分の日常には久しく存在しないそれに、鼻の奥がむずむずする。

 そういえば、俺が最後に女と別れたのは、いつだっただろうか――――。

「私のほうこそ、今日はすみませんでした」

「はい?」

 少しばかりぼんやりしていたせいで、よく聞いていなかった。しまったと思いつつ、顔を向け聞き返すと、彼女もまた顔をこちらに向けた。遠慮がちに笑んだ口元が動く。

「父が無理を言ってしまって。昔から言い出したら聞かない性質で。本当にすみません」

「ああ……あ、いえ」

「ご迷惑だったでしょう」

「いえ、こちらこそ。退屈だったんじゃないですか」

 口数が少ない上に話も合わない、そんな人間と一緒にいて楽しいわけがない。そもそも俺は、口が下手というか、人付き合いというものが、昔から下手なのだ。バルバのように相手を安心させる包容力もなければ、アンナのような相手を先導する巧みな話術もない。それでも俺なりに考えて、言うべき事は言うべき時に、きちんと言葉にしているつもりだが、足りないとしょっちゅう人に言われる。

「そんなこと。ダグラスさんこそ。何かと気を遣わせてしまって、お疲れになったんじゃありません?」

「いえ、とんでもない」

 返ってきた社交辞令にこれまた社交辞令を返して、前を向いた。青になった信号を確認してアクセルを踏む。彼女の、即ちファルマン中将の邸宅まで後少しだ。

 祝日の今日、郊外と言うこともあって予想どおり道は空いていた。このまま行けば予定通り、十一時前には隊舎に戻れるだろう。

 隊の連中は、花火だ何だと更に浮かれて祭り気分を満喫している頃だ。夜更けまで続く毎年恒例のバカ騒ぎに付き合う気は更々ないものの、今年もまた何だかんだ言って、バルバから強引に輪の中に引きずり込まれてしまうのだろう。もしかしたら、酔いに任せてもう既に脱いでいる奴もいるかもしれない。まあ、彼女がいなければ、脱いだところで誰も何も構わないのだが。

 そこまで考えて、ふと、メルロイのことが頭に過ぎった。今年は彼女が来ることもあって、脱いだら一週間飯抜きにすると隊員達に宣言していたが、あいつのことだからきっと、目の前で誰か脱いだところでそれが気心が知れた相手なら、ぶつぶつ言いながらも結局、笑って済ますに違いない。

 気心の知れた相手――…。

 自分の思考に無意識に眉根を寄せたところで、隣から声があがった。

「本当のことを言うと、父の我侭だけじゃないんです、今日のことは。勿論言い出したのは父ですけど」

「は?」

 不意の言葉に思わず、顔を横に向ける。彼女は伏せがちだった長い睫を上げて、思い切ったようにこちらを向いた。

「こんなふうに二人でお話するのも最後だと思うので、全部正直に言ってしまいますね」

 どうぞ前を向かれてください、危ないですから。そう続けて言われて大人しく視線を前に戻すと、彼女もまた視線を俺から逸らして前を見て、話し出す。

「私、実はちょっと憧れていたんです、ダグラスさんに」

「……はあ」

 予想外の展開に、適切な返答が出来ない。というか、俺は何か彼女に憧れを抱かせるようなことをしただろうか。身に覚えがなさ過ぎる。

「以前一度、パーティの席で困っていた時に助けていただいたんです。多分覚えてらっしゃらないでしょうけど」

「………すみません」

 俺の心境を読み取ったかのような彼女の言葉に、前を見たまま謝罪を返す。本当に覚えていない。一体いつのパーティの話だ。

「だから父が言い出した結婚の話も、まんざら嫌ではなかったんです。ダグラスさんとなら、それもいいかなって、ちょっと思ってました」

 あ、父には言ってないですから、安心してくださいね。付け足すようにそう言った後、少し考えるように僅かに間をあけて、彼女は静かに続けた。

「だけど、今日ご一緒して分かりました。無理だって」

「……」

「私、我侭だから、お付き合いするなら、私を一番愛して大事にしてくれる人じゃないと嫌なんです」

 彼女はきっぱりとそう告げた。ちらりと横目で窺うと、真っ直ぐ前に向けた顔は穏やかだったものの、その膝の上で、小さなバックを握っている手に力が入っているのが見て取れた。

「………すみません」

 その姿に色々思考を巡らせてみたところで、結局、俺が言えることはそれだけだった。

 

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~ 少佐と私。~

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