小さな頃は神様が、誕生日には願いをひとつ叶えてくれるのだと、そう信じてた。
蝋燭を吹き消すことで願いが叶うなら、何本でも吹き消してみせるのに。
birthday eve
冬の朝というものは、とかく人に嫌われるものらしいけれど、私はどちらかというと嫌いじゃない。目が覚めて自分の体温で温まったベッドを後にする時の身震いするような寒さも、冷たい水で顔を洗う時のびりりと肌が引き締まる感じも、適度な緊張感が漲るというか、体の軸が凛と伸びる感じがして好きだ。
それにしても、今朝は随分と冷えたらしい。水溜りまで凍ってしまっている。洗濯物を干す際に裏庭で見つけたその薄い氷は今、朝の光を浴びて、キラキラと今にも音を出しそうなほどに輝いている。
「昼前には、溶けちゃうんだろうなぁ……」
その美しい光景を名残惜しく見ながら、そう小さく呟いた時、隊員の一人の聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
「リサさん。大佐が、上着が消えたって呼んでるよ」
「えぇ?」
振り返ると、そばかすのある鼻の頭を寒そうに赤く染めた若い隊員が、苦笑まじりに立っていた。二週間に一度は靴下に穴を開ける彼の特技は、今もって健在だ。
「消えたって……。私、知らないわよ?」
言いながら耳を澄ませば、確かに、遠くから大佐の騒ぐ声が聞こえる。
「おおい誰か、俺の上着見てないか? 寒い寒い! 死んじゃうってコレ、寒死にしちゃう! おおいリサッ、リサァァ!」
大の男が、なんとまぁ情けない声を出していることか。思わず眉尻を下げたところで、私と似たような表情をした隊員と目が合った。
「大変だねぇ、リサさんも」
「そう思ってくれるなら、少しは靴下に穴を開けない努力をしてちょうだいな」
空になった洗濯籠を抱え、部屋の中に戻りながら軽くぼやいてみせれば、予想通り、ちっとも悪びれていない顔で、えへへ。と、隊員は肩を竦めてみせた。
さあて。感傷に浸っている暇はない。大佐の上着を見つけ出さなくては。大佐が寒死にしてしまう前に。
「あっ、ありましたよ、大佐! ほら!」
談話室のソファーのクッションのその下。何故そんなところにあるのかは謎だけれども、クッションの下から覗く濃紺色の布地を引っ張り出してみると、それはまさしく大佐の上着だった。
人一倍大きな体を人一倍寒そうに縮こまらせていた大佐が、私の言葉に身を捩じらせて、喜びの雄叫びを上げながら駆け寄ってくる。
「うおおおお! でかしたぞ、リサ!」
ありがとうありがとう。さすがリサ。頼りになるぅ。抱きつかんばかりの勢いで私の両手を掴んで、大佐がぶんぶんと腕を振る。大袈裟な。と、くつくつ笑いながらも、私はされるがまま、腕を大きく振られていた。
「おい。あったのか、上着は」
そんな私と大佐の会話に唐突に割り込んできたのは、少佐だった。いつものごとく煙草を銜えて、ポケットに両手を突っ込んでいる。
「ああ! 今、リサが見つけてくれた」
これで寒死にせずに済むぞ。にこにこと心から嬉しそうにそう報告する大佐に、それを言うなら凍死だろ。と、突っ込みつつも、少佐も少しだけ笑う。
相手が大佐なら、少佐も時々そんな顔をするのだ。私はそれがちょっと羨ましい半面、微笑ましくもあり、最近では少し、胸が苦しい。
「しっかし、見事に皺くちゃだな。あんた、それ着て本部に行く気か?」
少佐の言葉通り、ソファーのクッションの下に敷かれていた大佐の上着は、見事なまでに皺だらけになっていた。
うっ。と、声を詰まらせるや否や、大佐の目が私を見る。
「どおしよう、リサ~」
リサ~。の部分が、ママ~。に聞こえるのは毎度のこと。自分より年齢も体も大きな子供を産んだ覚えは、とんとないのだけれど。
大佐に限らず、隊員達はみんな、私を母のように慕ってくれる。それをほんの少し不満に感じたこともあった。けれども今は、それが素直に有難い。彼らがそうやって慕ってくれるから、私はこうして項垂れずに、元気でいられる。
「はいはい。すぐにアイロンかけますね」
多くは望まない。ただ、この場所で。この位置で。
好きな人の日常の一部でありたい。
少佐の日常の隅っこにでも、私という人間が存在しているのなら、私はそれだけで―――…。
……それだけで、いいはずなのに。
( 次→ )
~ 少佐と私。~