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君と僕の七月七日。

 

 

 バイト帰りの夜道のこと。

 指輪から出て、いつもどおり髪を黒くした少女の姿で、俺の少し前をぷらぷら歩いていたフィーが、不意に足を止めて声を寄越した。

「真生」

 自転車を押しながら、何を考えるわけでもなく、何となくその後ろ姿を眺めながらのろのろと歩いていた俺は、その声に一緒になって足を止めた。

「なに?」

「あれは何だ?」

「あれ?」

 質問に質問で返しながら、フィーが指差す方向に顔を向ける。

 深夜零時をとっくに過ぎた路地には、今現在俺とフィーしかおらず、視界を遮るような駐車車両もない。おまけに、ちょうど目印のように、そのすぐ傍に外灯があったおかげで、フィーの言う『あれ』が何か、すぐさま分かった。思わず、ああ。と、小さく頷く。

 フィーが指と視線で示す先にあるのは、小さな保育園。そこの門に縛るようにして設置された笹だった。

「七夕飾りだよ。もうすぐ七夕だから」

 答えながら、もうそんな時期かとも思う。どうりで最近、蚊が増えた。もうじき蝉も鳴き出して、本格的に夏になるのだろう。

 外灯に照らされている、色とりどりの短冊や飾り物で飾られた笹そのものとは全く無関係の感想を抱く俺を他所に、フィーは微妙に眉を顰めると、小首を傾げてこっちを見た。

「たなばた?」

 その様子に、俺も小首を傾げて返す。

「あれ? 知らない? 結構昔からの伝統行事だと思うんだけど」

 詳しくは知らないけど、中世くらいから現代まで続いている行事だとてっきり思っていたから、フィーが知らないことが驚きだった。

 俺のそんな驚きをフィーは表情から悟ったらしい。少し呆れた顔で、でも両手を腰に当てたスタイルで堂々と胸を張る。

「私が何でも知っていると思ったら大間違いだぞ、お主」

「いや、そんな威張って言われても…」

 無駄に肩を聳やかすフィーにそう言って返しつつ、俺は七夕を説明すべく、知っていることを言葉にして並べた。

「確か、昔に中国から伝わってきた風習で、毎年七月七日近くになるとああやって、笹の葉に願い事書いた短冊とか飾りとかぶらさげて外に飾るんだよ。彦星と織姫が願いを叶えてくれますようにって」

「彦星と織姫?」

「うん。あんま詳しくは話覚えてないけど、確か、むかーしむかし彦星と織姫という天に住む夫婦がいて、でも仲が良すぎて仕事そっちのけになったらしくて、それで神様が怒って、天の川を挟んで一年に一回しか二人が会えないようにしたんだ。その一年に一度の逢瀬の日が、七月七日。七夕」

 俺の拙い説明をフィーは真面目な顔で聞いていた。そして、腑に落ちないといわんばかりの様子で口を開いた。

「何故、その彦星と織姫が願いを叶えるのだ?」

「え。……さあ? 一年ぶりに会えて嬉しいから、みんなの願いを叶えましょうってことなんじゃない? 分かんないけど」

「ふうん。では、笹は? 何の関係が?」

「知らない。けど、七夕には笹なんだよ。少なくとも、今の日本ではそう。七夕つったら笹」

 適当極まりない俺の答えに再び、ふうんと、納得したのかしていないのか分からない相槌を返し、フィーが顔を俺から保育園の方へと向け直す。そして、恐らく好奇心を刺激されたのだろう、そのまま真っ直ぐ保育園の門に飾られた笹に向かって歩き出した。

「おい、下手に触って壊したりすんなよ? それ、チビッコたちの夢が詰まってんだからな」

 少し遅れて俺もその後に続きながら、そう注意すれば、

「私はシシィか」

 と、ややぶすくれた声が返ってきたものの、興味はすっかり、笹の葉に吊るされた色とりどりの短冊へと向かっているようだった。

「これはみんな、願い事か?」

「うん、多分。ここの園児達の願い事」

 答えながらフィーの横に並んで、俺も笹の葉に吊るされた短冊に目をやった。

 どれも、いかにも園児らしいたどたどしい字で、でも一生懸命に願い事が書かれている。ピアノが上手になりたいとか、泳げるようになりたいとかいう願いもあれば、△□レンジャー(多分、戦隊ヒーローだと思われる)になりたいとか、ぶっとんだものでは新幹線になりたいという願いまであって、それは絶対に無理だと突っ込みつつも、可愛らしさについ顔が笑んでしまう。

「真生。これ見てみろ、これ」

 同じように目と口を柔らかく緩めて短冊を見ていたフィーが、ひとつの短冊を指差し笑う。

「『おなかいっぱいカレーをたべたい』と書いてある。私は、これを叶えてやりたい」

「いや、お前、織姫じゃないだろ。つうかそれは織姫じゃなくて、お母さんにお願いしろよ、チビッコ」

「もしや、作ってくれる母親がおらぬのやもしれぬな」

「……そういう切なくなること言うなよ、お前」

 笑顔でさらっと欝発言をするフィーに半目を向けるも、本人はまったく気にしてない様子で、他の短冊に目を通していく。

「こっちは何だ? 『ゆうこせんせいとけっこんしたい』? ゆうこ先生とは誰だ?」

「俺に聞くな。この保育園に勤めてる保育士さんだろ、多分」

「こっちは、『でいずにーらんどにいきたい』か。真生、デイズニーランドとは何処だ?」

「お前は知らなくていいところ」

 ちなみに、デ『イ』ズニーじゃないけどな。と、心の中で付け足して、俺は自転車のハンドルに肘を付いた。

 楽しげに次々に短冊を読み上げていくフィーと違って俺は、ざっと目を通した後はもう、軽く飽きていた。

 

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