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 なんてこった。

 それだけを、繰り返し思った。

 

 

 LONG DISTANCE CALL

 

 

「……煮えてなくない? これ」

 近くに座っていた隊員が、スプーン片手に顔を顰める。メルロイが去って、数時間後の夜飯の席だった。

「ジャガイモ、生なんですけど。つーか、にんじん、皮ついてるし」

「まさか、肉まで生ってこたぁねぇよな」

 横隣で言い合いながら、隊員達はそれぞれ、胡散臭そうに自分の皿を眺めている。その手はぐちゃぐちゃと皿の中身をスプーンで混ぜ返すだけで、一向に進んでいない。

 俺もまた、自分の前に置かれた皿の中身、ライスカレーというよりは、カレー色した薄いスープにライスをびちょびちょに浸したものに目をやって、誰にも聞こえない程度の溜息を吐いた。

「何だ何だ、お前ら。にんじんも、ジャガイモも、生のままでも充分立派に食える食材だろうが」

 生煮えが何だ、さっさと食え。隊員達に向かってそう叱咤の声を飛ばすのは、今日ばかりは俺ではない。ボルトだ。

「でも、ボルト軍曹。肉はさすがにやばいんじゃないんですかね。腹壊しますよ」

「何を甘ったれたことを言ってるんだ」

 まったく、これだから最近の若いもんは。いかにもそう言いたげな口調で、ボルトが続ける。実際は奴自身、そんなに年ではないのだが。

「大戦中は肉なんて滅多に食えなかったんだぞ。どんな奴も肉って聞けば、生だろうと腐っていようと、喜んで食ったもんだ。腹も壊さなかった。大丈夫だ」

 ねえ、少佐? 同意を求めてボルトが振り返る。ああ。と、俺はそちらを見ずに相槌を返した。気を取り直して顔を上げる。

「こんくらいで腹を壊すような奴は、気合が足りてねェ証拠だ。なんなら俺が特別に、直々に訓練つけて根性叩き直してやるぞ」

 言い捨てて、不恰好なでかいジャガイモを頬張った。咀嚼するたび、ごりごりと音が頭蓋骨に響く。本格的に生だ。俺はちょっとばかり、ヘリングを恨めしく思った。ちなみに、この生野菜たっぷりの味の薄いライスカレーを作った当人は、夜勤に備えてこの場にいない。

 俺の言葉に、隊員達は、いやそれだけは勘弁してください。だの、殺されるくらいなら腹痛を選びます。だの、ふざけたことを口々に抜かしながらも、ようやく食うために手と口を動かし始める。

 徐々に普段通り騒がしくなっていく隊員達の声に耳を傾けながら、俺は水で、口の中のものを無理やり流し込んだ。明日から、ヘリングは食事係から外そう。集団食中毒なんざ起こして肝心な時に出動できない事態になったら、今以上に世間の風当たりが厳しくなってしまう。

 

 それにしても、だ。こういう時、しみじみ思う。

 慣れというものは怖い。メルロイが来る前は、野郎だけで炊事やら洗濯やらをこなしていたはずなのに、たった五年で、それまで自分達がどうやって生活していたのか、すっかり忘れてしまっている。

 くそ不味い飯も、メルロイが来る前は毎食のことだった。それでも文句を言う奴なんかいなかった。それが普通だったからだ。飯だけじゃない。どこかの電球が切れても、どうしても必要な時がくるまで、そのままなんてことはザラだったし、洗濯に至っては数日に一度、しかも洗濯した後は、何日間も乾燥機の中に入れっぱなしという状態が普通だった。

 それが今じゃどうだ。飯は美味くて当然、洗濯物にはアイロンが掛かって戻ってくるのが当たり前、床は綺麗に磨かれて、どこの部屋も常にこざっぱりと片付いている。五年前までなら奇跡としか思えないそれやこれやが、いつのまにか普通になって、今やそうでないと不満が出るほどに、誰も彼もすっかりそれに慣れきってしまっている。

 隊員達ばかりじゃない。

 俺もだ。

 いつのまにか、メルロイがいることが、当たり前みたいになっていた。けして、当たり前のことなんかじゃないというのに。

 

 この五年というもの、通常勤務の時は勿論、テロが起きて出動して、隊員の誰かが怪我を負ったり、反対にこちらが向こう側の人間の命を奪ったりして、血やら火薬やらの匂いにどっぷり浸かろうと、ここに戻ればいつだってごく普通に、あいつがいた。俺達の無事を目で確認して、おかえりなさい。と、心底ほっとしたような声と顔で、いつも変わらず出迎えてくれた。命のやり取りでどんなに神経が昂ぶっている時でも、その声を聞けば、知らず知らずのうちに気が休まった。

 いつ何時でも自分達のために用意されている美味い飯に、暖かい寝床。清潔な衣服。感情が篭った声、まなざし。そういった、メルロイが生み出す春の陽のような穏やかで温かいものを感じるたびに、いつのまにか俺は、大袈裟だが、人間に戻ったような、そんな気もちにすらなっていた。

 そして、そんなふうに自分が感じていることに気付きもしないほど、それを極当たり前に、いつのまにか俺は思っていたのだ。

 

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~ 少佐と私。~

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