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 四歳の誕生日。両親に欲しいものを訊かれた私は、空が欲しいと言ったそうだ。

 そのこと自体は、私は覚えていない。

 でも確かに、小さな頃の私が見上げていた空は、本当に広くて、とても綺麗だった。

 いくら手を伸ばしたって届くはずもないのに、何も疑うことなく、いつも手を伸ばしていた。

 いつかはこの手で触れると、本気で思っていた。

 

 あれから随分時が流れて、世の中のことも少しは分かるようになった。

 それでも、私はまだ、空に手を伸ばしている。

 

 

 make a wish

 

 

 夏や秋と違って、冬の夜は静かだ。風もなければ、窓ガラスの軋む音も聞こえない。ともすれば耳鳴りがしそうな静寂を、寝返りを打つことでほんの束の間遠ざける。

 もう何時間経っただろう。分厚い掛け布団の下で、私はもう一度寝返りを打った。暗い部屋の中、手を伸ばして携帯を取る。二つ折りのそれを開いた途端、顔の周りが、ぱっと青い光に照らされて目に染みた。液晶画面に表示された時刻は、夜中の一時を過ぎていた。

「……………」

 ため息も出ない。ベッドに入って、二時間近く経ってしまっている。

 明日も五時には起きて、仕事を始めなければいけないというのに。ただでさえ、六十人分の食事の用意や掃除、洗濯やらで疲れているのだ。少しでも多く眠っておかなくては体力的に辛い。いつもならベッドに入った途端、気絶するかのように、すぐ熟睡できるのに。

 眠れない理由は分かっていた。それこそ、痛いほど。

 携帯を枕の横に置いて、また寝返りを打つ。もう一度目を瞑って、眠ることに集中しようと息を潜める。すると今度は、嫌というほど少佐の顔や声が蘇ってきた。目の奥が、じんじんと熱くなってくる。

 

 ―――お前はウチに必要なんだよ。

 

 そこかしこで蝉が煩く鳴いていた頃に、少佐がくれた言葉。私は自分が思っている以上に、その言葉にすがりついていた。宝物のように、それを大事に胸に刻んでいた。

 補佐としての私に向けられた言葉だとは分かっていた。そう分かっていて、それでも私は、少佐に必要とされていたかった。補佐としてだけでも、少佐にとって必要な人でありたいと、日々願っていた。

 それがまさか、それと真逆の言葉を、面と向かって告げられる日が来るなんて。

 目の淵がじわっと熱くなってきて、私は慌てて目元にきつく腕を押し当てた。

 馬鹿みたいだ。いや、みたいではなく、馬鹿だ。どうしようもなく、馬鹿だ。救いようもない。

 少佐が言ったように、補佐の代わりなんて、いくらでもいるのだ。料理や裁縫が得意な人は、それこそ星の数いる。私である必要は、本当に、どこを探してもない。

 勝手に震えだそうとする唇を、懲らしめるように強く噛む。目の熱さは治まったと思ったら、またすぐに舞い戻ってきて、その度私は押し付けた腕に力をこめ続けた。

 たとえ事実でも、それを少佐に口にして欲しくなかった。少佐にだけは、言って欲しくなかった。そんな我侭を思っている自分に気づき、こらえきれず鼻を啜った。どうしてこんなに、好きなんだろう。

 息がどうしようもなく苦しくて、口を開けたら、吐いた息が熱かった。

 

 ショックが強過ぎて、その後の大佐の話はあまり頭に入ってこなかったけれど、要約すると、とにかくよく考えなさいということだったと思う。期限まではまだあるし、今年決断がつかなくても、来年も再来年もある。遅過ぎるなんてことは、人生にはないのだから、ゆっくり納得いくまで考えて決めなさい。どんな選択をしても、リサが自分で考えて決めたことなら、それが正解だから。とか、そんな言葉を優しく諭すように伝えてくれていた。俺としては、まだまだずっとリサを手放したくないんだけどな。そう笑ってもくれた。まるでお父さんだ。だけど。

 そう言った大佐も、私がいつかはここを去ることを、暗黙の了解の事柄として考えていることは事実なのだ。

 

 私はどうしたいんだろう。将来。未来。人生。

 考えても考えても、その言葉は遠過ぎて、どうしても現実感を持たせられない。

 この仕事が私にとって、人生をかけるだけの価値があるかどうかなんて分からない。でも、仕事は楽しいし、毎日充実もしてる。それだけではいけないのだろうか。

 叶うなら、ずっとここにいたい。隊のみんなと別れたくないし、少佐の傍にいたい。そう思う気持ちは、恐らく、少佐の言うところの「情に縛られる」ということなのだろう。

 感情だけで動くと、後々後悔することになる。ハイスクールの先生が確か、そんなことをよく言っていた。ここにいたいという気持ちだけで、この仕事を続けたら、私はいつか後悔するのだろうか。ここでの日々を。

 そんなことはないと強く思えないのは、少佐の言葉のせいだ。

 幼馴染を見て、羨ましいと少しも思わなかったかという少佐の言葉に、あの時私は、内心たじろいでしまった。

 事実実際、幼馴染の花嫁姿を見て、幸せそうなその姿に、羨ましいと私は思った。大佐の奥様に対しても、何度も羨望を抱いた。愛する人に愛される幸福を体現している人達。同じ女として、憧れを抱いて当然ではないか。半ば不貞腐れた心持でそう思う反面、少佐を思い続ける限り、その憧れは捨てなくてはいけないことも、心の隅で分かっていた。

 

 結局、私にはまだ覚悟が出来ていないのだ。何があっても表に出さず、たとえ少佐が他の女性と結婚したとしても、少佐を好きでいるという強い覚悟も、実らない恋をきっぱり捨てて、私を好いてくれる誰かと新しい恋を始める潔い覚悟も。情けないけれど、どちらの覚悟も私には、まだ、出来ない。

 

 閉じた瞼に、ぎゅっときつく力を入れて、それから私は目を開けた。

 起き上がって見た時刻は、深夜一時半を回っていた。

 

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~ 少佐と私。~

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