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 自分のくしゃみで、目が覚めた。

 

 

MORNING MOON

 

 

 最近起きる時間になっても、外はまだ薄暗い。今日は休みだ。と言っても、目を通して処理しておかねばならない書類が山とあるが。鼻の下まで毛布に潜りこめば、思った以上に頬が冷えていて、毛布の温もりが優しかった。体温が染み込んだシーツがとんでもなく気持ちいい。秋も随分と深まっていた。

 

 何でもない日だ。朝飯の後、自室の窓辺で煙草を一本吹かしながら思った。口の中には、朝飯のソーセージの味がまだ残っている。すっかり明るくなった空は、澄んだ水色を浮かべていた。天気予報では今日も快晴らしい。

 何でもない日だ。もう一度、噛み締めるように思う。

 俺は最近、よくそう思うようになっていた。それは決まって一人でいる時だ。こうして何をするでもなく、煙草をゆっくり味わっている時なんかに、その思いは湧き上がってくる。

 不意に鼻の奥がむず痒くなった。俺は元々、こういうしんみりしたものは苦手な性質なのだ。泣きそうになってくるというと何だか女々しいが、呼吸がやたらと苦しくなってしまうのは事実だ。

 何でもないと思うことがこんなにしんみり感じられてしまうのは、恐らく先週の話のせいだ。俺は自分の唇から昇る煙を見つめた。

 

 先週の終戦記念日のこと。今年も例に違わず、いとも簡単にバルバに輪に引きずり込まれた。

 ひょっとしてバルバは、俺があの笑顔に弱いことを知っていてやっているんじゃないだろうか。だとしたら、かなり狡猾だ。しかし、そうではないことを俺は知っている。だから余計に性質が悪い。

 それはメルロイも同じだったようで、困ったように苦笑いしながらも、バルバに促されるまま素直にバルバの横に座った。あいつが顔を上げて俺を見た瞬間、言葉を止めたのを俺は覚えている。

 全ての原因は、メルロイが輪に入ってきてからの話だ。いや、そもそものきっかけは、その前にあったことかもしれない。

「……チッ」

 思い出すと同時に再び襲い来る感覚に軽く苛立って、まだ長い煙草を灰皿に揉み消した。何なんだこれは。消えない感覚に、ケースを叩いて新しい煙草を取り出す。

 

 いつか、終わる。それは考えてみれば当たり前のことだ。俺は煙を吐き、空を見上げた。秋の、少し時間の経った朝の冷えた空気を照らす陽射し。暖かさは、あまり感じられなかった。

 いつの日か、メルロイは隊舎を、機動隊を出て行く。

 小さなスーツケースひとつを持って、雪の中、メルロイが隊舎を訪れたのは五年前のことだ。その時のメルロイは、こちらを窺うような表情の裏で、今にも泣き出しそうだったと俺は記憶している。

 メルロイのその表情だけに限らず、あの頃のことは、妙にはっきり覚えている。バルバはあの、今では「奥様」なんて呼ばれているバカ女の部屋に、何を思ったか街中の花屋という花屋の花を次々に贈り届けて、窒息させる気かと殴り飛ばされていた。グリンは悪趣味極まりない呪術に嵌って、次々にどこからかクソ気味の悪い道具を入手してきては、俺の部屋を呪いの部屋にしていやがった。俺は髪を切ったばかりだった。いつもの床屋が休みで仕方なく他の店に行ったら、角刈りまではいかずとも、かなり短く切られた。耳の辺りがやけにスースーして寒かったのを覚えている。それを見て笑いを抑える事もせず、なんか若返りましたね、少佐。そう言って笑っていた隊員達の、その白い息すら覚えている。

 

 無意識に溜息が出て、それをうやむやにするように、煙草を深く吸い込んだ。

 あんな話を聞いて、ふと身につまされただけで、最初から分かっていたことだ。

 いつか、終わる時が来るのだ。この日々に随伴するこの想いも、この第三機動隊そのものも。

 それを突飛なことだと笑う者は、恐らくいないだろう。

 それは人間がいつか死ぬということと同じで、始まりがあるものには必ず終わりがある。そういうことだ。時間はその摂理に沿って流れ動いていく。ずっと続くものなどないのだ、きっと。実際、共和国制度がいつ転覆するとも知れない。いつまた大戦が起こるとも知れない。いつ死ぬとも知れない。そんな渦の中に俺達はいる――――…。

「ァダッ!!」

 突然、後頭部に何かとんでもなく硬い物が飛んできて、衝撃で煙草が口から落ちた。

「あーすみません、少佐。当たっちゃいました?」

 振り向くまでもない。微塵も悪いと思っていないこの声の調子、焦りなど一欠けらも見受けられないのんびりした靴音。痛みに蹲った俺の足元には、野球の硬球が転がっていた。

「………テメェ殺す気か、グリン」

 ボールが直撃した後頭部を両手で押さえつつも、怒りで肩が震えた。

「いやぁ、本当すみませんねー。ドアが開けっ放しになってたもんで。まさかこんなところに少佐がいるなんて、夢にも思わなかったなあ。いやぁ、失敗失敗。死ななかったなんて」

「なァにが夢にも思わなかっただ、思いっきり狙いやがったくせに! しかも何だ、失敗って!? テメェはマジで何の恨みがあんだ俺に!?」

「やだなぁ、恨みなんて自意識過剰ですよ、少佐。ただ、あんた見ると、どうにも虫唾が走るだけです」

 スキな子ほど苛めたくなるって奴ですかねぇ。ぬけぬけと言い放ち、グリンは転がったボールを拾う。

 後頭部も痛いが、怒りにふつふつと煮え立つ腸も痛い。何なんだ、こいつは本当に。俺に対する嫌がらせは前々からだったが、ここ最近それが加熱しているようにも思える。ここらで一度シメておくべきかもしれない。

 だが、俺が怒声を飛ばすより早く、焦げてますよ。と、グリンが飄々と顎で床を指した。

 見れば、さっきの衝撃で落とした煙草が、リノリウムの床を軽く溶かしていた。慌てて消して灰皿に捨てたが、床には煙草を落としたと分かる跡が、くっきり出来てしまっていた。

「あーあ。掃除の時、リサちゃんに怒られますよ、少佐」

「誰のせいだ、誰の!」

 ギロっと睨みつけながら、新しい煙草を取り出して火をつける。

 人のせいにするんですか、まさか少佐ともあろう御人が。わざとらしく目を大きくしてグリンがそう言い、俺は煙を吐き出しながら、フンと鼻を鳴らした。最悪にむかっ腹は立つが、これもいつか終わりを告げる時間の中のひとつだと思うと、グリンの顔すら貴重に見えた。

 

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~ 少佐と私。~

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