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 夢見たいつかは、胸の奥に鍵をかけて閉じ込めた。

 私には今があればいい。

 たとえ、今だけでも。

 あなたを好きでいられるなら、ただそれだけで。

 

 

ONION SOUP

 

 

「………テメェ、俺を売りやがったな」

『何言ってるのよ。これでも頑張って買い戻したほうなのよ』

 感謝して欲しいくらいだわ。悪びれもせず電話の向こうの女は言い放つ。腹立たしさの余り、煙草のフィルターを噛み千切りそうになった。これが電話じゃなければ、俺の眉間に今どれだけ皺が寄っているか見せてやれるというのに。

『とにかく、もう決まったことなんだから、ぐだぐだ言わないで腹括りなさい』

「なァにが腹括れだ、勝手に決めやがって」

 忌々しさを隠さず吐き捨てれば、奥様なんて呼ばれて今じゃすっかりすまし顔が板についた女が、仕方ないでしょーが。と、昔のように声を強くする。

『元はと言えば、あんたが悪い。最初の時にもっとまともな理由で断らないから』

「充分まともな理由じゃねェか」

 家庭を顧みる余裕も気持ちもないから結婚出来ない。これ以上正当な理由があるなら、教えて欲しいもんだ。

 苛立ちを込めて灰皿に煙草を揉み消したら、灰が机に零れやがった。更に眉根が寄る。無意識に出た舌打ちには、呆れたような溜息が返ってきた。

『いっそのこと嘘でも、決めた女がいるとか言って断れば良かったのよ。ほんっと昔から変なところで馬鹿正直なんだから。少しは利口になりなさい』

「るせェな、ほっとけ」

『出来ることならほっときたいわよ、私だって。ほんっと何の因果があって、あんたと一生付き合わなきゃいけないんだか』

「だから前から言ってんだろが。テメェさえバルバと別れりゃ、この腐った縁も綺麗さっぱり消えてなくなんだよ。嫌ならさっさとバルバから離れろ」

『その言葉そっくりそのまま返すわ。とにかくそういうことだから。頼んだわよ、エミリアさんのエスコート。言うだけ無駄だとは思うけど、愛想良くするように』

 一方的に言うだけ言って、じゃあね。と、電話は切れた。こっちの言い分なんか、これっぽっちも聞く耳もない。まあ、どれだけ不満を述べたところで、拒否する権利は俺にはないのだろうが。

 不愉快極まりない気分を持て余しつつ、携帯を閉じた。がしがしと髪を掻き毟りながら、コーヒーのカップに手を伸ばしたら、中身はいつのまにやら空になっていた。再び無意識に舌打ちが出る。

 時計の針は午後十時半を過ぎていた。何とはなしに補佐役の女の顔を思い浮かべながら、その所在を考える。もう仕事を終えて部屋に戻っただろうか。まあ、コーヒーくらい別にメルロイがいなくても、自分で淹れればいい話なのだが。不思議とあいつが淹れたコーヒーは、美味いのだ。別に特別な淹れ方をしてるわけでも、特別な豆を使ってるわけでもないのに、俺を含め他の誰が淹れたものより、格別に味がいい。

 とは言え、コーヒー一杯ごときで仕事を終えた部下を呼ぶのは、さすがに公私混同が過ぎるというものだろう。煙草をポケットに突っ込むと、厨房に向かうべく俺はカップ片手に部屋を後にした。

 

 閉め切っていた室内と違い、廊下は窓が開いていて、秋特有の乾燥した風が少し肌にひんやり感じる。ついこの間まで、うんざりするほど暑かったというのに、時間というのは過ぎるのが本当に早い。この分だと、あっという間に冬だ。

 そんなことを考えながら歩いていると、携帯が突如、メールの着信を知らせて震えた。極一部の人間にしかアドレスを教えていないこともあり、誰からかすぐに見当がつく。溜息混じりにメールを開くと、思ったとおり、送信者はアンナだった。ファルマン中将の娘さんの趣味やら、上手い世辞の言い方やらが書いてあるそれを適当に流し読みして携帯を閉じる。

 仕方がない。そうは思うものの、やはり気が乗らない。大体その気もないのに、会ってどうしろというのか。ぐるぐると、鬱憤が胸に募る。多分、眉間の皺は凄いことになっているだろう。

 しかしまあ、考えようによっては、ちょうどいいのかもしれない。と、意識的に気をなおす。

 第三者なしに会話をすれば、俺の性格から言って好かれることは、まずないだろうし、それに何より、陸軍本部で行われる終戦記念式典の場に連れ立って行かなくていいだけ、まだマシだ。そんなことをしたらそれこそ外堀を埋められて、ファルマン中将の思うツボになってしまう。さっきのアンナの口ぶりから言って、恐らくその話も出たはずだ。そう考えると、式典の後に基地でやるパーティのエスコートだけに留めてくれたアンナの努力に感謝すべきなのかもしれない。全部が全部、俺のいない席で決まった話というのが、癇に障るが。

 

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~ 少佐と私。~ 

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