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【 03 】 - 1

 

「はあっ? ゴールデンウィーク忙しいって、どういうこと?」

 昼飯時を少し過ぎた食堂の中、向かいの席で肉うどんを食べようとしていた孝が、丼から咄嗟に顔を上げて、無駄に大きな声をあげた。その声に、別のテーブルの人達が何事かとこっちを見る。俺は気持ち体を小さくして、孝に非難の目を向けた。

「声がでけえよ、お前。んな驚くことじゃないだろ」

「ああ、ごめん。てかそれより、忙しいって何? 何かあんの?」

 声を小さくしつつも、孝は箸を止めて畳み掛けるように言う。俺は日替わり定食のアジフライにソースをかけながら、軽く肩を竦めて返した。

「んー、まあ、バイトとか色々。結構みっちりシフト入れちゃったし」

 どうでもいいけど、さっきからやたら指輪が重い。これは絶対、中でフィーがへばりついて見ている。自分の口じゃなく、俺の口に入るアジフライを。恐らく、かなり熱い眼差しで。

 食べられないのなら、せめて見たい。その切なる気持ちは分からないでもないけど、ここまで見られていると分かると、さすがに食べ辛い。心の中だけで溜め息を吐いて、フィーの視線を遮るべく左手をご飯茶碗に添える。これでフィーからは、トレイか付け合せの漬物しか見えないはずだ。その行動に、フィーが不満を訴えているのだろう、指輪がぎゅっときつく締まったけど、あえて無視した。付き合っていたらキリがない。

 目の前でそんなやりとりが行われていることなど知りもせず、孝はやや顔を前に突き出して縋るような声を出した。

「バイトったって、一日くらいは休みあんだろ?」

「うーん。ないわけじゃけど、多分その日も忙しい」

「なんで」

 間髪入れず眉を顰めて言う孝に、箸を持ったまま右手で味噌汁のお椀を口に持っていきつつ説明する。

「ちょっと、皐月さんの代わりに探し物しなきゃいけなくてさ。それが片付くまでは、悪いけど遊ぶ暇ない」

 昨日、ゴロウさんも急ぐと言っていたし、引き受けた以上、責任を持って早く見つけなきゃいけない。早速今日から捜索開始だ。行ってすぐ、ぱっと見つかればいいけど、あの家にあること以外は手がかりが全くない状況だし、少なく見積もっても三日、いや五日くらいはかかるかもしれない。狭い家ながら家業が家業だけに、やたら物があるのだ、うちは。こんなことなら、連休中あんなにみっちりバイトを入れなければ良かった。今更だけど、ちょっと悔やまれる。

 そうだ。悔やむと言えば、ゴロウさんは無事に家に帰れただろうか。胸に湧く一抹の不安に、俺は内心で眉を曇らせた。

 昨日あの後、帰りを急ぐというゴロウさんに、家まで送ってやるよとシシィが名乗りをあげたはいいのだけど、いかんせん、その方法が例の風の道で。しかも、こっちが止めるのも聞かず、片手で雑に抱きかかえた不安定極まりない抱っこスタイルで、シシィはゴロウさんを連れて行った。風の道経験者としては、頑張って楽観的に考えようとしても、危険の二文字が頭から離れない。もっと強く止めるべきだったかもしれない。その後、シシィは顔を見せないし、ちゃんと無事に送り届けたのだろうか。

 途中で落っことしたりしていませんように。そう、こっそり祈りながら、味噌汁を飲む。途端、鼻や舌に広がる味噌の風味に食欲を刺激されて、食べることに集中していく俺とは逆に、孝は箸を持ったままぶらりと両腕を落として、思いっきり椅子の背凭れに崩れた。そのまま、情けない顔で不満げに零す。

「なんだよお、お前を餌に彩乃ちゃん誘って、彩乃ちゃんを餌に理沙ちゃんを誘うという俺の計画はどうなるんだよお」

 その言い分に、自ずと半目になったのは言うまでもない。自分が不幸なのは俺のせいだと言わんばかりの目で見てくる孝に白い目を向け、ご飯を口に運ぶ。

「知らねえよ。てか、餌ってなんだよ。直接、理沙ちゃん誘えばいいだろ」

「あのな。二人で遊ぼうって俺が誘って、理沙ちゃんがOKしてくれるわけないだろ」

 箸で俺を指しながら、孝が即座に言って返す。まるで道理を説き聞かすような口調もさながら、悲しいくらい説得力がある言葉だ。友達ながら、憐憫の情を禁じ得ない。

 俺の気のせいかもしれないけど、理沙ちゃんはフレンドリーで、一見開けっぴろげな性格に見える反面、話しているとなんだか、心のガードが異様に堅いように感じる時がある。だから可哀相な話だけど、孝が好意を示せば示すだけ、理沙ちゃんの警戒心が強まって、それで余計距離を置かれてしまっているような、そんな気がする。……まあ、ただ単に、これぽっちも相手にされていないだけかもしれないけども。

 俺はアジフライに齧りつきながら、憐れみの眼差しを孝に向けた。

「もうこうなったら、いっそお前、キャンペーンPRでもしたら?」

「キャンペーンPR?」

「『理沙ちゃん限定。俺と遊んでくれたら、今なら荷物持ち込みで、服でも鞄でも何でも買ってあげるよキャンペーン』」

「どんなキャンペーンだよ、んな金ねえよ」

 じとりとした目つきで、孝が口を尖らす。

「つうか、それもう、ただの援助交際じゃん。理沙ちゃんは、そういうことしない」

「冗談だよ。それよりお前、うどん伸びるぞ」

 言って俺は、うどんの丼を顎で指して、またアジフライに齧りついた。

 キャンペーンは冗談だけど、友達としては孝の思いが届けばいいと本当に思う。だけど、そうやって二人が一緒にいる未来を想像すると、どうしてもそこに、由希ちゃんの顔がちらついてしまうのも本当だ。俺の中でまだ、上手く心の整理が出来ていないのだろう。もう、どこにも彼女はいないというのに。

 こういう時、亡くなった人が残す影響力は凄いと、しみじみ思わされる。

 もし、由希ちゃんが今も生きていて、普通に出会っていたら俺は多分、ここまで由希ちゃんのことを考えなかった。由希ちゃんが孝を好きなことを知っていたとしても、恋愛のことだし、誰が悪いわけでもないと、多少良心の呵責を感じても、殆ど気に留めなかっただろう。それを、今こんなふうにいちいち気にして罪悪感のような感情まで抱いてしまうのは、由希ちゃんがもういないからだ。

 亡くなった人への思いは、果たされないからこそ強いのかもしれない。そんなことを考え、ふと左手に目がいった。

 もう転生しているとはいえ、フィーはレネを亡くしている。俺が事あるたびにこうして由希ちゃんのことを思うように、フィーも、事あるたびに記憶の中のレネを思っているのだろうか………。

 俺の場合と違って、フィーにとってレネは来世を約束するほど特別な人なわけで、生きて傍にいた頃の思い出もある。由希ちゃんに対する俺の思いとは比べ物にならないほど深い思いが、そこにあるはずだ。………もしかしたら、フィーはいつも、それこそ四六時中、レネのことを思って過ごしているのかもしれない。羊羹を頬張ってご満悦なときも、ゲームに勝ってご機嫌なときも、楽しそうに笑っているけど、心の中では本当は――――…。

 

「あーあ」

 知らず知らず、左手を見たまま考えに耽っていた。孝の嘆くような声で我に返って、止まっていた箸を動かす。

 幸い孝は、俺が物思いに耽っていたことなど気づきもしなかったようで、うどんを啜りながら、羨み半分恨めしさ半分といった声を寄越した。

「お前はいいよなあ。色々と裏工作なんか考えなくていいんだもんなあ」

 何も知らないとはいえ、その、いかにも孝らしい能天気な言葉に、思わず溜め息が口を衝いて出る。

「ばーか。俺だってなあ、機嫌取るために羊羹買ってやったり、飯で悩んだり、大変なんだからな」

「羊羹? 彩乃ちゃん、羊羹好きなの?」

「は? 彩乃ちゃん?」

 うどんを箸に挟んだまま、きょとんとして見てくる孝を、アジフライを同じく箸で挟んだまま、俺もぽかんと見返す。

 数秒の間の後、先に表情を変えたのは、孝だった。

「…お前、誰の話してんの?」

「別に? 誰でもない」

 咄嗟に、嘯く。無論納得するわけなく、孝は興味心で彩られた目をじっと向けてくる。その探るような、にやついた視線に、負けたらだめだと思いながらも、つい視線を逸らしてしまった。

 我ながら、本当に馬鹿だ。話の流れ的にフィーが出てくるわけないのに、何も考えずフィーのことを言ってしまうなんて。直前までフィーのことを考えていたせい他ならないけど、それを説明すると、今度は何故フィーのことを考えていたかも説明しなきゃならない。それは、なかなか難しい。

 何とかこの場をあやふやに流そうと、素知らぬ顔でご飯を掻き込む。孝は、しつこくこっちをじろじろ見た後で、やっと丼に視線を戻した。そのまま箸を動かしだす。その様子に内心ほっとしたのも束の間。

「フィーちゃん、元気?」

 いかにも何気ないふうを装った声で、孝が唐突に言って寄越した。

 ぴきっと、一瞬止まりそうになった動きをかろうじて継続させながら、ちらりと孝を見る。案の定孝は、何気ないふうを装ったつもりだろう、むかつくにやけ顔で、こっちを見ていた。確信犯以外の何者でもない。

 なんだよ。俺がフィーのこと考えてちゃ悪いかよ。お前は知らないだろうけどなあ、二十四時間不眠不休でフィーは俺にくっついてんだぞ。今だって、ここにいるんだぞ。アジフライ食うたびに、指輪が締まって何気に痛いんだからな。地味な嫌がらせしてんじゃねえよ、馬鹿フィー。俺じゃなくても、こんな状況だったら誰だって考えるだろう。むしろ、考えないほうが変だろう。

 と、声を大にして言いたいのは山々だけど、言えるはずもなく。憤懣やる方ない思いと一緒に付け合せの漬物を口に投げ込んで、ぼりぼり噛みながら投げやりに言葉を返す。

「元気」

「そっか。いや俺、退院してから、ずっと会ってないからさ。元気かどうか、気になってたんだよね」

「あっそ」

 はっきり言えばいいのにわざわざ言い訳めいたことをにやついて言う孝に、目は向けず声だけ返して、主役の消えた主食の皿に残ったキャベツの千切りを口一杯頬張った。そうやって頑なに目を向けない俺に対し、孝は口を噤むどころか、まるで鬼の首でも取ったかのように調子づいて声を投げてくる。

「フィーちゃんってさあ、今、皐月さんのところにいるの?」

「うん」

 面倒くささも相俟って、キャベツを咀嚼しながら、ぶっきらぼうに相槌を返す。孝はますます、声をにやけさせた。

「ふうん。じゃあお前も、そんなに会ってるわけじゃないんだ?」

「うん」

「ふうん、そっかあ、ふうん……。あ。なあ、そう言えばさ」

「うん?」

「さっき言ってた探し物って、皐月さんの代わりにするんだろ? てことは、皐月さんちでするの?」

「うん」

「へえ~。そっかあ。フィーちゃんがいる皐月さんちで、かあ。へえ~」

「……お前な」

 わざとらしいというか、いやらしいというか、その物言いに、かちんときて目を狭める。適当に返事して流そうと思ったけど、無理だ。孝のにやけた声が無性に腹立つ。

「言いたいことがあるなら、はっきり言え。はっきり否定してやるから」

 不機嫌さを隠すことなく言って睨む。孝はそれに対しまた少し微妙ににやついた後で、あっけらかんと口を開けて笑い、軽く肩を竦めた。

「悪い悪い。ちょっとからかっただけ。面白くて」

「何がだよ」

 悪態を吐く俺に、悪い悪い。と、能天気な顔でもう一度笑って言うと、孝は今までの分を取り返す勢いで大量のうどんを一気に啜った。そうして頬をもごもご動かしつつも、箸で俺を指して、うどんだらけの口を開く。

「あ、へろ、良いおろ思ひついらろ」

「良いこと?」

 何故だろう。良いことと聞いて、嫌な予感しかしない。

 ごっくんと喉を鳴らして口の中のうどんを飲み込むと、孝は能天気な顔と声で明るく言い放った。

「俺も一緒に手伝ってやるよ、その探し物」

 

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