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【 04 】 - 1

 

「なんか、ごめんな? ろくに手伝えなくて。後で車返しに来るから」

 ブーツを履いて立ち上がり、孝が振り返って言う。俺は必死で動揺を隠しながら、口を動かした。

「うん。いや、こっちこそごめん。……気をつけてな」

 最後の言葉に必要以上に感情が篭った。だけど、フィーが危険な何かがいると知って孝を追い出したのだから、この家にいなければ孝は安全なはずだ。本当に危険なのは、この場合、孝じゃなくて俺だろう。

 じゃあ後で。言って、孝が玄関から出て行く。ガレージに続く庭の砂利道を歩く音が、玄関の扉が完全に閉まる少し前に聞こえた。ややあって響いてきた車のエンジン音が、次第に家から遠ざかる。俺はそれを耳に、背後を振り向くことは愚か、少し横に視線を逸らすことすら出来なかった。俺のすぐ後ろに控えるようにフィーとシシィがいるのは分かっていたけど、それと同じに、二人以外の何かもそこにいるのだと思うと、どう頑張っても目が玄関の扉から動こうとしなかった。

 ついに車の音が全く聞こえなくなって、玄関が静寂に包まれた。その時を待っていたのだろう、俺の斜め後ろでフィーが怒声を爆発させた。

「シシィ!! そなたは一体、何をしてくれておるのだ!」

「わざとじゃないもん! オレだって驚いたし!」

「もんではないわ、粗忽者めが! 責任持って連れ戻せ!」

「ええ~! 無理! オレ、あいつら嫌いだし、あいつらもオレのこと嫌いだし。そうじゃなくても、あいつらが大人しく言うこと聞くわけないじゃん。無理だよ、無理! ぜーったい無理!」

「無理でも嫌いでも! そなたが出したのではないか!」

「だってまさか、こんなところにいると思わないじゃんか! ……そうだよ! あんなところにあいつらを隠してた人の子が悪い!」

「今この状況で、それを言うても仕方なかろう!」

「なんだよ、いっつもいっつも人の子の味方ばっかりして! 結局お前は、オレより人の子のほうが可愛いんだ!」

「そういう問題ではなかろうが! 話をすり替えるでない!」

 耳にがんがん響く精霊二人の大声に、思わず目を瞑り、手で耳を塞ぎたくなった。だけど、そんなその場凌ぎの現実逃避をしたところで意味はない。

 とにもかくにも、一番怖かった水の姫関係じゃないことは、フィーの口調からはっきりした。なら、きっと大丈夫。俺には精霊二人がついている。何か思いっきり揉めているけど、この二人が俺を守っている限り、ちょっとやそっとのお化けくらい、問題ない。きっと、絶対、大丈夫だ。

 恐怖を信頼と根性で飲み込んで、しつこく大声で姉弟喧嘩を続けている二人のほうを振り返った。なるべくフィーとシシィ、二人だけに焦点を合わせて見ながら、そこに割って入る。

「はい、やめ、ストップ! 二人でヒートアップしてないで、俺にも分かるようにちゃんと説明しろ。何がどうしたの? あいつらって誰のこと?」

 俺の介入にフィーが、シシィに向かって言いかけていたのだろう言葉を、ぐっと飲み込むようにして黙った。

 その横でシシィが、ぎょっとしたように目玉を大きくして俺を見る。

「嘘だろ、お前。本当に分かってないの? 何も、少しも感じないわけ? 指輪してて? 本当に?」

「有難いことに本当なんだよ」

 大袈裟な表情を浮かべるシシィに、狭めた目を向けてそう答えた傍から、フィーが溜息と一緒に肩の力を抜きながら口を開いた。

「恐らく真生は、ただでさえ異様に鈍い上、視たくない識りたくないという感情が強いゆえ、無意識に意識に蓋をしておるのだ」

 確かにそうかもしれない。言い得て妙なフィーの考察に、そんな場合じゃないのにちょっと感心する。

 フィーは少し思案するように俺を見た後、徐に腕を伸ばすと、視界を塞ぐように片手を俺の両目の前にかざした。

「これで視えよう。まあ、視えたからとてどうしようもなかろうが」

「え?」

 言われた言葉に、目をぱちくりする。視界を塞いでいた手はとっくに離れたのに、目に映るものはさっきまでと別段何も変わらない。俺を見ているフィーの顔に、シシィの顔。見慣れた、玄関から続く廊下。襖。階段。

 ぱちぱちと瞬きを繰り返し、それらを順繰りに確認していきながら、何も変化のないその光景に知らず知らず首が傾ぐ。怖い気持ちが全くないと言ったら嘘になるけど、見えると言われて見えないこの状況のほうが気になった。

「あの、特に何も見えないんだけど……」

「視ていないだけだ。ほら、あそこ。下のほう。よう視てみろ」

 困惑気味の俺に淡々と言って返して、フィーが階段の手摺りの付け根、床と繋がっているその部分を指差す。俺は素直に指し示されたほうに目を向けて、今更ながら一瞬、見開いた我が目を疑った。

「えっ、え? 何あの、超ちっさいの!」

 思わず、首が前のめりになってしまう。

 階段の手摺りの付け根の部分、まさしくフィーが指差したそこで、まるで手摺りの陰に隠れるようにして、小さい、ビー玉みたいな何かが三匹(『匹』といっていいのか分からないけど)、上から赤、黄、青の色順で重なるように縦に連なって、こっちを窺がっていた。

 あんなに小さいんじゃ、見落としてしまっても仕方ない。とにかく、すごく小さい。一匹一匹が小さ過ぎて、三匹重なっていても三センチあるかどうか怪しいくらいだ。

 もはや自分が、その存在に驚いているのか、その小ささに驚いているのか、自分でも分からない。困惑しつつも凝視の域で見つめるうちに、一見ビー玉みたいに見えるその体が、まん丸ではなく、雫型の球体を上から無理やり押さえつけて潰したような、そんな歪な形であることを知った。同時に、色こそ違えど三匹それぞれが、薄っすらと微かに発光していることにも気づく。

「なに、団子三兄弟ならぬ発光三兄弟?」

「なんだ、それは」

 困惑のあまり意味不明なことを口走る俺に、フィーが呆れた声を出す。そうしている間も件の三匹は、俺達の出方を見極めるかのように、じっとこっちを窺がっている。と言っても、顔らしきもの―――目や鼻や口は見当たらないから、実際本当にこっちを見ているのかは不明だ。でもなんとなく、それこそ感覚なのだけど、じーっと見られているような気がする。

「マジで何なの、あれ一体」

 見られている感覚に、俺もまた目を逸らすことが出来ず、そっちに目をやったまま、隣にいるフィーに尋ねる。フィーはどこか疲れたように、静かに長い息を吐いてから声を返した。

「火の童達。お主の国では確か、狐火とか燐火とか呼ばれておった。つまるところ、火の王の眷属だ」

「え、じゃああれ、火なの?」

 言われてみれば火の玉に見えないこともないけど、第一印象のせいか、正直、発光塗料を塗った歪な形のビー玉にしか見えない。

「火というか、火の童達だ」

 間を置かず返ってきたその答えに、どう違うんだよ。と、訊き返そうとした時、視線の先で不意に、赤、黄、青の三匹がそれぞれ一斉に左右ばらばらに動いた。と、思ったら間髪入れず、いきなり喋り始めた。

「なんか大きくなってる?」

「なってる?」

「なってる?」

 どれがどの順番で喋っているのか、というか、口らしきものもないのにどこから声を出しているのか、全くもって謎ながら、三匹は確かに、エコーのように言葉尻を繰り返しながら、喋っていた。

「おかしいな。どうしてだ?」

「どうしてだ?」

「どうしてだ?」

 語尾はすべて疑問形だけど、どうやら俺達に向かって話しているのではないらしい。それどころか、どういうわけか、さっきと違って俺達のことなんか全く気にしていないようにさえ感じる。

 言葉もなく見つめる先で、三匹は延々と「どうしてだ」を繰り返しながら、そのまま、それぞれお互いを追いかけるように、その場を旋回し始めた。

 微かな残像を残しながら、ひたすらぐるぐる回る赤、黄、青の光の玉……、というか火の玉。その光景に俺が、綺麗以外の感想を抱くより早く、フィーが憔悴したような声をぼそりと響かせた。

「もうずっと古くに王が、精霊以外との接触を一切禁じたはずなのだがなあ……」

「精霊以外との接触を一切禁止って、またなんで?」

 その物憂げな口調もさながら、接触禁止という単語が妙に気になって、フィーを見る。フィーは答えるために口を開きながらも、また一つ溜息を零した。

「なんというか、悪戯が過ぎるのだ、あやつらは。何分童ゆえ、いくら諭して聞かせてもなかなか分からず、言うことを聞かぬ。地上に命が増えるに従って、被害も甚大になり、王は仕方なく、童達に精霊以外の生物との接触を禁じたが、結局、その禁も童相手には無駄であったか……」

「悪戯なんて、そんな可愛いもんじゃないよ」

 どこか遠い目をするフィーの横から、シシィが口を挟む形で、忌々しそうに呟く。

「あいつらの遊びは、純粋なる悪だ。それこそ生命への冒涜だよ」

「生命への冒涜?」

 思わず鸚鵡返ししながらも、腹の底らへんが嫌な感じにざわめいた。

 精霊以外との接触を禁止された存在。純粋なる悪。生命への冒涜。どの言葉も考えれば考えるほど不穏過ぎて、いまだ階段脇でぐるぐると回っている三色の歪なビー玉もどきへの印象とはあまりにかけ離れ過ぎていて、その差が余計恐ろしく感じる。

 束の間の沈黙の後、フィーは踏ん切りをつけるように再度溜息を吐いた。その顔がすっと上がり、淀みのない目が俺を見る。

「真生、落ち着いて聞け。火の童達の大好きな遊びというのは、形あるものを灰と化すことだ。形あるものというのは、分かりやすく簡単に言えば、お主達人間が目で見、手で触れられるものすべて。つまり、植物や動物、建物などだ。勿論、人間も当てはまる」

「えっ」

 予期せず、甲高い声が出てしまった。だって、灰にするということは、恐らく火をつけて燃やすということで。しかも、それに人間も当てはまるということは、つまり……。

 突きつけられた事柄に、自分が青ざめていくのが分かる。

 フィーは、そんな俺を宥めるように、そっと片手をあげて続けた。

「落ち着け。指輪がある限り、お主は常に私の気を纏っているのと同じゆえ心配はいらぬ。孝は遠くへ行かせたし、この家にも水の守りをかけた。ただ、私がここを離れるとその守りも弱まる。そうなれば最後、この家は灰となる可能性が高い。というより、その可能性しかほぼない」

 

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