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【 05 】 - 1

 

 レネが見つかれば契約は果たされて、この関係は終わる。最初から知っていることだし、俺自身、その日を待ち望んでもいた。レネを想うフィーのためといえば聞こえはいいけど、正直なところ半分以上自分のために、自分が元の生活に戻るために、俺はレネを探していた。

 それなのに、フィーが当然の顔でそう言った時、いきなり起こされた人みたいに、思考が上手く現実と繋がらなかった。

 レネが見つかって指輪ごとフィーを引き取ってもらって、俺は元の普通の生活に戻る。俺は確かにそんな未来を望んでいたはずなのに、考えれば考えるほど、そんな未来は来ないと確信に近い思いを抱いている自分に焦りを覚えて、そして、そんな自分を少し離れた場所から冷静に分析している自分をも、あの時俺は感じていた。

 フィーが知らないこと。暗示によって、忘れてしまっていること。多分、それのせいだ。

 よく分からないけど俺には何かしら特別な力があって、俺とフィーは『来るべき時』とやらのために必要な二人で、そして、フィーは俺をずっと昔から知っていて、俺の存在はフィーの暗示を解く最大の鍵。

 俺が知っているこの情報。この情報のせいで、俺は知らないうちに、レネの存在を否定してしまっているのかもしれない。探しているくせに、頭のどこかで、見つかるわけがないと思っている自分がいる。そんなはずがないと本気で思っているのに、レネは俺だという根拠のない考えが、いつのまにか俺の頭の中に潜んでしまっているらしい。フィーが知ったら恐らくまた、不愉快な顔をするだろうけど。

 だけど、そうだと言い切れる根拠がないのと同じに、そうじゃないと言い切れる根拠だってない。

 自惚れかもしれないけど、俺はフィーに物凄く大事にされている。大切な指輪を所有しているのだから当然なのかもしれないけど、でも、フィーが時々俺に向ける母親みたいな目。俺のことが誇らしいほどに愛しくて大事だと、言葉で言われるよりはっきり伝わってくるあからさまなあの表情は、いくら俺が指輪の所有者だとしても、ちょっと行き過ぎてないだろうか。それに、俺のあの意味不明な罪悪感。フィーの目を見たときだけ襲ってくる、自分が凄く酷いことをしているような嫌な気持ち。あれは、生まれ変わることでフィーを忘れてしまったことへの、潜在的な後ろめたさの表れなのでは………なんて、やっぱり考え過ぎだろうか。

 でも、もし本当にそうだったとしても、俺には真実を知る術がない。フィーは暗示のせいで俺を忘れているし、俺がレネかもしれない可能性なんか、これっぽっちも疑っていない。フィーの中ではあくまで、俺とレネは別人で、レネは恋人、俺はただの所有者だ。

 俺にしたって、フィーを愛だとか恋だとかそういう目で見れるかって言われたら、正直厳しい。そりゃあ、何かにつけ俺のためと俺のことばかり考えてくれるフィーを見ていて、悪い気はしないけど。だけど。

 フィーはあくまで線の向こう側に俺を置いている。四六時中一緒にいて一番近くにいるのに、俺は人間で自分達とは違うと、生きる世界を自らくっきり線引きしているフィーに、恋愛感情なんて持ちようがないではないか。そんなの、持つだけ馬鹿だ。

 レネだって俺と同じ人間だろうに、なんで俺だけ別物みたいに頑なに距離を置くのだろう、フィーは。俺に迷惑をかけたくないから? そんなの今更過ぎるだろう。大体レネは良くて俺は駄目って、どういう道理だ。レネは人間でも、特別だからか? 皐月さんみたいな力があったって言っていたから、何かやっぱり普通の人とは違うのかもしれない。だけどそれなら俺だって、何か特別らしいのに。そうだよ、もしかしたら俺のほうがレネよりずっと―――……。

 

「ご主人様、まだ?」

「まだ?」

「まだ?」

 居間の卓袱台の上で、そわそわと小刻みに体を揺らしながらこっちを見てくるアオ達の言葉に、はっとして思考を中断した。

「ちょっと待て。今探してるから」

 部屋の隅に重ねた古新聞紙の中から、燃やしていいものを選別している風を装って短く返し、適当に何枚かを抜き取る。卓袱台に向き直りながら、何気なくフィーをちらと見れば、フィーはフィーで、卓袱台に両肘をついた姿勢でアオ達を見ながら、何か考え込んでいた。多分、外の精気のことだろう。

 精気の浄化に関してフィーにどれだけ責任があるのかは分からないけど、フィーがやたら責任を感じているのは見ていて分かる。だけど俺には、それをどうすることも出来ないことも分かっているから、やっぱり何も言えない。レネなら、こんな時、何か言ってやれるのだろうか。

「ご主人様。アオもう我慢限界突破する」

「アカも」

「キイロも」

「突破すんな。今やるから、落ち着け」

 殆ど倒れそうに前のめりになって急かす三匹の熱い視線を受けながら、新聞紙を適当な大きさに破る。それを、来客用の無駄に大きくて重いガラス製の灰皿に入れて、マッチを擦った。

「ふひょおおおお!!」

 しゅっと、いい音を立ててマッチに火かついた途端、軽く伸び上がって同時に感嘆の声をあげた三匹を尻目に、マッチを灰皿に投入すれば、すぐさま新聞紙に火が燃え移った。

「いいぞ。食ってよし」

「ご主人様、ありがとう!」

「ありがとう!」

「ありがとう!」

 言うが早いが、燃える新聞紙の入った灰皿に三匹が飛び込む。一緒に燃えるんじゃないのなんて要らない心配をしたのも束の間、手品のように火がみるみる消えて、あっという間に燃えカスすらも綺麗になくなった。

 空っぽになった灰皿の中、煤一つついていないアオが、くるっとこっちを向く。

「ご主人様、足りない! もっと、出来たらいっぱい! 天ほど海ほど!」

「天ほど海ほど!」

「天ほど海ほど!」

「いや、そんなには無理だわ。ごめん」

 スケールのでかいお代わりを請求してくるアオ達に淡々と言って返しながら、別の新聞紙をちぎって灰皿に入れてやる。そうしながらふと、昔見たオカルトホラー映画を思い出した。

「まさかと思うけど、お前ら火食い過ぎたら、へビィ級のモンスターに変身するとか、そんなカラクリないよな……?」

「変身したらご主人様、喜ぶ?」

「喜ぶ?」

「喜ぶ?」

「喜ばない」

 というか喜べない。はっきり言い切る俺を前に、アオ達は首を傾げるみたいに、ぐらんぐらん左右に体を揺らしている。

 その光景に、フィーが溜息混じりに口を開いた。

「安心せよ。精霊は基本、生まれた時の姿のまま変わらぬ。お主の苦手なお化けになんぞ変身せぬ」

「あ、そ。なら良かった」

 その言葉に安心して、ついでにフィーのやや呆れたような声色にも安心して、新聞紙に火をつける。

 そうしてアオ達によって、再びあっという間になくなる火を何とはなしにフィーと一緒になって見ていたら、卓袱台の向こうから不貞腐れた声が久々に響いた。

「おい、人の子一号。オレにも何か寄越せよ。二号の前で、人の子の振りしてやったんだからさ」

「……せめてこっち向いて言えよ…」

 声のほうに顔を向け、しつこくそっぽを向いているその姿を目に、俺は遠慮なく呆れの溜息を吐いた。シシィは気にすることなくそっぽを向いたまま、更に声を不貞腐れたものにする。

「約束したじゃん。そいつらばっかずるい。オレにも何か寄越せ」

「何かって言われても。この家、今何もないし。……あ、お前、風だろ? 風食うなら、扇風機出してやろうか?」

「ふざけるなよ、オレとそいつらを同じにするな!」

 きっと肩と目を怒らせて、シシィが噛み付くように返す。別に茶化したわけじゃなく、俺としては結構本気の親切心だったのだけど、余計不機嫌にさせてしまったらしい。ふんと盛大に鼻を鳴らしてまたもやそっぽを向いたシシィに、気持ち肩を竦める。

 そうこうしている間に、燃えカス一つ残さず火を平らげたらしいアオが、ぴょんと跳ねながら嘲りの声を出した。

「風の息子、何も貰えない。プフー。惨め、哀れ」

「プフー。惨め、哀れ」

「プフー。惨め、哀れ」

「……っ、誰が惨めで哀れだ!!」

 アオの言葉にアカとキイロも嘲笑し、シシィがぶるぶると怒りに戦慄きながら毛を逆立てる。もはや慣れてきた感は否めないものの、怒ったシシィに家を壊されては堪らない。俺は素早くアオ達に厳しい顔を向けた。

「おい、やめろ。喧嘩禁止って言っただろうが。今度シシィに喧嘩売ったら、火のお代わり今後一切なしにするからな」

「ひえええ、それだけはごかんべーん」

「ごかんべーん」

「ごかんべーん」

 本当に分かっているのか、きゃっきゃっとはしゃぐようにアオ達がぴょこぴょこ跳ねる。そのままじゃれるように、卓袱台の上に置いていた俺の手に纏わりついてきた三匹に、どう言い聞かせたら一番効果があるのだろうと頭を悩ませた時、横でフィーが毅然とした表情で口を開いた。

「私からも、そなた達に言うておく。そなた達の主人となりし人間は、この姫の目下の主でもある。万が一でもそなた達が、我が主の害となることあらば、私の怒りはそなた達だけにでなく、王にまで及ぼう。そうなれば、そなた達は王の怒りをも買うことになる。この意は分かるな?」

 口調に凄みを持たせて、フィーがアオ達を睨むように見る。

「姫様、こわーい」

「こわーい」

「こわーい」

「ああ、私は恐ろしいぞ。その上、そなた達とは比べ物にならぬほど遥かに強い。良いな? この姫が常にこの人間を守っておること、その旨努々忘れるな」

 俺の手に隠れるようにして口々に言う三匹に、フィーは殊更厳しい声でそう言い渡すと、顔をあげ俺に視線を合わせた。

「真生。何かあったら私にすぐ言え。私が対処する。お主にはただでさえ私の都合で色々と難儀を強いておるし、皐月が不在の今、その生活も何もかも守る責任が私にはあるゆえ」

「あー……うん。あのさ」

 俺はその、意志の強そうな目を少しだけ見返して、視線を僅かに逸らした。意識的にフィーの目ではなく顔全体を見ながら口を動かす。

「そういう風に俺を気遣ってくれるのは有り難いんだけどさ。ああいうのは、もうナシな?」

「ああいうの?」

「バイト先の雨漏りの件」

 俄かにきょとんとしたフィーに、はっきりと告げる。このことは、いずれきちんと話さなきゃいけないと思っていた。

「お前は良かれと思ってしてくれたんだろうけど、いくら俺のためでも関係ない人達に迷惑をかけたら、結局それは俺のためにならないんだ。人の社会は、一人一人の頑張りで成り立ってるから。俺の利のためだけに、他の人の頑張りを台無しにしちゃいけないんだよ」

 素直に俺を見ながら黙って耳を傾けているフィーに届くように、俺は声に感情を込めて、しっかり話した。

「それに、お前は俺を一人じゃ何も出来ない子供だと思ってるみたいだけど、俺だって人間社会では一応大人だし、それ相応の分別を持ってるつもりだ。自分のことは出来る限り、自分で何とかする。そう出来るように皐月さんにきちんと育てられた。だから、俺のためだからって、お前が何から何までする必要はない。それは俺を駄目な人間にするだけで、守ることじゃないんだ。俺が言ってること、分かってもらえる?」

 本当はこういう話は目を見てするべきだろうけど、あの訳分からない罪悪感みたいな嫌な気持ちに邪魔されることなく、素直な気持ちをありのまま伝えたかったから仕方ない。

 言い終え見つめる先で、フィーは考えるように、一度ゆっくり瞬きをした。そして、その口が何か言うために開きかけた時、それを邪魔するように、シシィの声が冷たく響いた。

「偉そうに」

 吐き捨てられた短い言葉に篭った鋭い棘。俺は黙ってフィーからシシィへと視線を移す。シシィは卓袱台の向こうから、蔑むような目を俺に向けていた。

「自分の利のためだけに、他の頑張りを台無しにしちゃいけない? どの口が言ってんだ?」

 

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