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【 07 】 - 1

 

「え?」

 その言葉と仕草に、俺は思わず指輪を見た。いつもと変わらない青を湛えた石は何の反応を見せるでもなく、いつものごとくただ静かにそこにあった。

 シシィの言っている『三人目の天のもの』イコール『もう一人のフィー』とは、ここに封印されているというフィーの魂のことで間違いないだろう。確かに以前、魂は大いなるものの一部であって星のものではないという話を俺も聞いた。それに、たとえ穢れになっていても、魂は魂だ。由希ちゃんがそうだったように。

 つまり、この青い石の中にいるものは、星で生まれたフィーやシシィとは異質のもので。今までそういう考え方をしたことがなかったけど、ここにいるのはフィーであってフィーじゃない、天で生まれて星に来た俺やゴロウさんと同質の『もう一人のフィー』なのか。

 なんだかちょっと、目から鱗の気分だった。今更初めてのようにまじまじと指輪に見入る俺を他所に、シシィは飄々とした声で話を続けていく。

「オレ、思うんだけどさー。あの人の子と契約してるのは、正確に言えば、あっちだろ? しかも、契約の代償はミトラじゃない、ヴァルナですら関与できない唯一絶対のものだ。いざってなったら、たとえどんな状態でも間違いなくあいつは、」

「やめよ!!」

 だけど、シシィが全部言い終わる前に、フィーが凄い剣幕でその声を遮った。

「そなた、自分が何を言うておるか分かっておるのか!? そのようなことになっ、」

 まるで一気に沸騰した薬缶のように激昂して吠えるフィーを今度はシシィが、だけど平然と手を掲げて止めた。にやっと片端だけ口をあげて笑い、その顔をフィーからゴロウさんに向ける。

「そう。そんなことさせるわけにはいかないんだよ。なあ、古神?」

 ゴロウさんはシシィのその視線に、はっはと口で息を返しただけだったけど、シシィは満足したように、また顔をフィーに向け直した。

「いいか、銀の姫。あいつの恐ろしさを知らないやつなんて、オレらの中にはいない。ぶっちゃけ、お前よりオレらの方が知ってるくらいだ。ほんと、これほど最悪且つ最強の脅しはないぜー? あいつに比べれば、ミトラなんて可愛い無害な石ころだよ。ま、それを分かっていて、それでもあの人の子を連れていきたいっていうんだから、古神にしたって最初から絶対に大丈夫って自信があってのことだろうけど」

 恐ろしさだの、脅しのだの、内容はともかく、明るくきっぱりとシシィが言い切る。

 と、いきなりゴロウさんが、朗らかな笑い声を立てた。

「ほっほ。まこと、風伯殿には敵わんのう。さすが、あのエンリルやヴァーユが長と傅き頭を垂れるわけじゃ」

 本気で感じ入ったように首を振り振りそう言い、声の調子もそのままに言葉の矛先をフィーに向ける。

「どうじゃ? 少しは得心してくれたかの、罔象三姫。風伯殿が申す通り、わしが賭けておるのは何も己のミトラだけではない。それを、些かにも危険があるかもしれん場所になぞ、恐ろしゅうて連れて行けるわけなかろう」

 だけど、そんなシシィやゴロウさんとは対照的に、フィーは酷く押し迫った難しい顔で苦悩するように俯くだけで、すぐには何も言わなかった。

 俺はそんなフィーを少し見て、一人また指輪に視線を落とす。

 

 シシィ達の話を聞く限り、どうやら俺は指輪の中にいる『もう一人のフィー』にも大事大事に守られているらしい。

 そういえば、以前母の胎内とかに行った時、俺の意識がない間に指輪の石に罅が入っていた。すぐにフィーが魔法みたいなことをして元に戻したけど、フィーの説明では、あれはフィーの魂が俺の魂を守ろうとして足掻いた結果ということだった。

 確かにそんなこともあったのに、俺は今まであんまり、指輪の中にいるそれについて深く考えたことがなかった。いると言葉でいくら聞かされていても、実際目に見えるわけじゃない。指輪が何かしら反応したのだって最初の契約の時だけで(母の胎内の時のことは記憶にないし)、だから、これはただの指輪じゃないと知っていても、俺の認識というか感覚では、完全に『もの』扱いだった。

 だけど、この中には確かに存在しているのだ。シシィやゴロウさんが恐ろしいと言い切る、その昔穢れになって、今尚穢れのままでいる『もう一人のフィー』が。

 

 穢れになった由希ちゃんには感情があった。ということは、指輪の中の彼女にも、きっと感情はあるのだろう。

 彼女は一体、どんな気持ちでいるのだろう。封じられたまま、八百年近くもずっと。こっちのフィーと違って、表に出て話したり動いたりすることもなく、ただひたすら指輪の中で、たった一人で――――……。

 

 知らず知らずのうちに、指輪の石に手が伸びていた。透き通った、吸い込まれそうな青。その無機質で滑らかな表面に指でそっと触れようとして、その直前。

「真生」

 いきなり名前を呼ばれて、思わずびくっと肩が跳ねた。呼びかけた張本人のフィーは、それには構わず、切れそうなくらい鋭い目を俺に向けていた。その口が重そうに開く。

「……どうしても、行きたいか?」

「…うん」

「どうしても、どうしても、か?」

「うん」

 鋭利な目で真っ直ぐ見てくるフィーに、可能な限り強く頷いて返す。それに対し、フィーは何か言いたげなのを堪えるように、ゆっくりと目を閉じた。そしてそのまま、顔は向けず声だけを、ゴロウさんに向けた。

「誘いの御神。そなた、さきほど言うたな? 私は変わったと。その通りだ。私は変わった」

 抑揚のない、静かな口調。フィーは一呼吸置くようにそこで小さいため息をひとつ漏らすと、疲れたように、でも毅然とした声色で続ける。

「我が内にはもはや、遥か眩き光の御世を築いた頃の誓いなどない。ゆえに、そなたは必ず契約を果たせ。よいな?」

 念を押し、言い切って、それでもフィーは最後までゴロウさんに顔を向けなかった。

 一方ゴロウさんは、そんなフィーをじっと見た後で、殆ど伏せの状態になりつつも、深々と頭を下げた。そして、

「必ずや」

 短くそれだけ、力強く返した。

 

 

「じゃあ、そうと決まったところで」

 二人のそのやりとりに、なんとなく空気が引き締まったような気がしたのも一時、シシィが場違いなくらい楽しそうな声で、その空気をぶち壊した。

「誰がする? オレ、していい?」

「だめだ」

 何故か急激に生き生きとして、俺と自分を交互に指差しそう言うシシィに、フィーがばっさりと言って返す。

 それを受けて、ゴロウさんも悩むように口を開く。

「わしがしてもよいが、この体ではちょいと不便かのう」

「私がしよう」

 何を? と、口を挟む暇もなく、フィーが言うと同時に立ち上がった。その行動に、シシィが不満げな声を出す。

「えええええ、オレがしたい~! させてよ~~!」

「だめだ」

「ケチんぼ! 意地悪! 人の子贔屓!」

 駄々っ子のようにごねてぶすくれるシシィを半ば無視して、フィーが俺の前に立つ。

 展開に、というか話に全くついていけていない。シシィは何がそんなにしたいのか。というか、俺は何をされるのか。

 正面からフィーに見下ろされ、やや不安にかられながら、それを尋ねようとした時だった。

「ダメ、姫様」

「ダメ」

「ダメ」

 いきなりアオ達が、俺とフィーの間に立ち塞がった。

 

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