top of page

【 02 】 - 1

 

 城戸真生(きど まさき)、二十歳。金なし彼女なしの、どこにでもいる普通の大学生。

 ―――だった、ついこの前までは。

 俺が、自称神秘の生命体と奇妙な共同生活をするはめに陥って、もうすぐ二ヶ月が経つ。事の起こりは、一月も半分過ぎたある日の夕方、バイトに向かう途中で掛かってきた一本の電話。あの電話にさえ出なければ………。なんて、今更考えても仕方ないと分かっているけど、やっぱり思わずにはいられない。

 

 その日、いつものようにバイト先に向かって自転車を走らせていた俺は、突然聞こえてきたメロディに最初、自分の携帯が鳴っているとは思わなかった。何故ならそれが、超有名な某アニメの主題歌だったから。 確かに俺も子供の頃はそのアニメを夢中になって見ていたけど、携帯の着歌にするほどの思い入れは断じてない。だけど一向に鳴り止まない、『つかもうぜっ、ド○ゴンボォオルッ』というパワフルな歌声を不審に思ってポケットを探って見たところ、間違いなく俺の携帯が鳴っていた。

「孝のやつ、また人の携帯勝手にいじくったな」

 会うたび勝手に人の携帯の着歌を変えるという悪癖を持つ友達の顔を思い浮かべ、眉根を寄せた俺は、携帯のディスプレイに表示された、「着信 城戸皐月(きど さつき)」の文字に益々眉間の皴を深めた。

「もしもし?」

『あ、もちもちぃ? 真生きゅうん? 皐月叔父ちゃんでちゅけどぉ』

「………尋常じゃなく気持ち悪いんだけど、その喋り方」

 通話ボタンを押した途端、耳に飛び込んできた中年男の赤ちゃん言葉に、本気で鳥肌が立った。我が子のように思ってくれているのは重々承知しているけど、それにしたって二十歳にもなる甥っ子相手に、赤ちゃん言葉はないだろう。

「何? どうしたの? 珍しいじゃん。皐月さんが電話してくるなんて」

『いやあ。可愛い甥っ子が元気にしてるかどうか、心配で夜も眠れなくってねえ』

「はあ。元気なんで、安心して眠ってください」

『まあ、それはどうでもいいんだけど』

「どうでもいいんかい!」

『真生くん。急で悪いんだけど、今からウチに来てくんない?』

「は? 今から?」

『うん。今からっていうか、今すぐ』

「や、そんなこと突然言われても、俺、今からバイト………」

『一時間以内に来てね。遅れたら、真生くんの小さい頃の恥ずかしい写真、拡大コピーして大学中にばらまくから。じゃあ、待ってるよん』

「え? あ、ちょっ、皐月さん?」

 焦って呼びかけるも、一方的に切られた電話の向こう側からは“ツーツー”という機械音が聞こえてくるだけ。さすがにちょっと唖然としたけど、どうしようなんて悩むまでもない。

 俺は皐月さんという人間を誰より……と、言うと語弊があるかもしれないけど、間違いなくこの世で五番目くらいには、よく知っている。彼は一度やると言ったら、それがどんなに理不尽なことだろうと本当に実行する。そして厄介なことに、二歳のとき事故で両親が揃って他界した後ずっと、彼に育てて貰った俺は、それはもう恐ろしくなるほど彼に弱みを握られている。小さい頃の恥ずかしい写真なんて在りすぎて、どれのことだか分からないくらいだ。

 携帯の終了ボタンを押したその手で俺はすぐさま、バイト先に休む旨を伝える電話をかけたのだった。

 

 

「おっ、来たか、真生くん。うん、ギリギリ一時間以内だね。偉い、偉い」

 商店街から一本裏道に入った場所にある、日当たりの悪い店舗の中、そう言ってのんびりとした笑顔を向けてきた作務衣に半纏姿のロン毛中年男を、むすっとして睨む。

 あの後、バイト先に休ませてくれと電話をしたところ、店長に散々ネチネチと嫌味を言われたのだ。そりゃあ、急に休むのは確かに悪いけど、俺だって好きで休むわけじゃない。そもそも、そのせいで給料が減って困るのは、他でもない俺自身なのだ。ただでさえ、暮らしていくので精一杯のなけなしの給料なのに。

「偉い、偉いじゃないよ。何? 脅迫までして急に呼びつけて。くだらない用事だったら、マジでキレるからな」

 不機嫌極まりない俺の睨みなど意にも介さぬ笑顔で、皐月さんは『本日閉店』の札を手に立ち上がると、店の奥にあるガラス戸を顎で指した。

「まぁ、とりあえず上がりなさいよ。話は奥でするから」

 不貞腐れたまま、促された通り、古い壷や掛け軸、意図用途共に不明な置物やらが散乱する店頭から、奥のガラス戸の向こう、居住スペースに移動する。ちなみに、この店は皐月さんの経営する骨董品店で、その奥の家は、大学進学が決まって俺が一人暮らしを始めるまで皐月さんと二人で暮らしていた、いわゆる実家ってやつだ。

 勝手知ったる何とやらで居間のヒーターの電源を入れ、そのまま習い性で台所に行き、お茶を淹れる。

 自分が飲みたかったのもあるけれど、半分以上、皐月さんのためだ。

 特にこだわった淹れ方をしているわけではないのに、不思議と俺は子供の頃から、お茶を淹れると大抵の人に美味しいと絶賛される。皐月さんに至ってはもう、俺の淹れたお茶以外は飲めないと真顔で豪語するほどだ。俺自身は正直、自分が淹れたものも人が淹れたものを大差ないように感じるのだけど、人に言わせれば、同じお湯、同じ茶葉を使っても、味に雲泥の差が出るらしい。

 まあ、その真偽のほどはともかく、そうやって皐月さんが昔から事あるごとに、誰彼構わずあちらこちらで吹聴してくれたおかげで、俺はどこにいってもお茶を強請られ、今じゃすっかり、人にお茶を淹れてあげることが、ある意味当然の義務のような感覚で習慣化してしまっている。

 

 湯気を立てる二つの湯飲みをお盆に載せて、居間に戻ったところで、店閉めを終えた皐月さんが入ってきた。

「あ、いいな。真生くんのお茶、僕も飲みたーい」

「ちゃんと淹れてるよ」

 入ってくるなり早速、お茶を強請る皐月さんに軽く呆れつつ、湯飲みを卓袱台に置いて話を切り出す。

「で、何の用?」

「うん、用っていうか………。あ~、やっぱり真生くんの淹れてくれたお茶は美味しいなあ。どうしてだろうねえ、同じお茶葉なのに。この前もね、鈴木の爺さんと話してて……あ。そうだ。鈴木さんから羊羹貰ったんだった。あれ食べよう、あれ。確か台所の茶棚に………」

「用がないなら帰る」

 何が哀しくて、貴重な収入を減らしてまで叔父と二人、羊羹を食べなきゃならんのだ。今ならまだ、店長に謝ってバイトに出ることが出来る。

 そそくさと立ち上がりかけた俺を見て、皐月さんが面白くなさそうに口を歪める。

「羊羹食べるくらい、別にいいじゃない。せっかちな子だねえ。急がば回れって言葉があるだろう」

「時は金なりって言葉もある」

 じとっとした視線を投げつけてきた皐月さんに、冷たい視線を投げて返す。

 言っておくけど、俺は別にせっかちな性質ではない。ただ、皐月さんのペースに付き合っていたら、日が暮れるどころか日付が変わってしまうのだ。

 双方譲らぬ睨み合いが数秒続いた後、皐月さんが、わざとらしい溜め息を吐いて言った。

「仕方ない。真生くん、手出して」

 

次→

←前

 

 

▲Page top

 

bottom of page