【 03 】 - 1
「今日も収穫なしか」
蛍光灯の白々しさが心寂しい、深夜零時を過ぎた部屋で、フィーが呟く。
小さな肩を落として心持ち俯くその姿は、いかにも哀しげで、見ていると胸が痛くなる。………口の周りをソースで汚してなければの話だけど。
あの日から約二ヶ月間ずっと、俺とフィーは常に行動を共にし、昼夜『レネ探し』に勤しんでいる。と、言っても、実際に労力を使うのは俺だけで、フィーは指輪の中から見ているだけ。ちょっと理不尽な気もするけど、現実問題、明らかに日本人じゃない(というか、人間じゃない)銀髪の女の子を四六時中連れて歩くわけにもいかない。好奇の目で見られるのは必至だし、まかり間違えば、俺が変態だと思われてしまう。フィーもそこら辺のところは心得ているらしく、こうして指輪から出てくるのは、アパートに二人でいるときだけだ。
「一体どこにいるのだ、レネは」
いつものように炬燵に入り、バイト先から貰ってきた賞味期限切れの豚カツ弁当を美味しそうに忙しなく口に運びながら、フィーが愚痴る。どうでもいいけど、何でも本当に美味しそうに食べるやつだ。ここまで美味しそうに食べてもらえたら、作る側もさぞ満足だろう。
向かい合って同じように弁当を食べながら、ずっと疑問に思っていたことを尋ねた。
「てかさ、そもそもその人、本当に日本にいるの? 元々ドイツの人だったんだろ? なら今度も、ドイツあたりに転生してんじゃないの?」
「それはない」
口をもごもごさせつつ、フィーがきっぱりと断言する。
「なんで?」
「私がこの地にこうして存在しているからだ。私がいる場所に、レネの魂が降りぬはずがない」
「何の説得力もないんですけど」
呆れを隠すことなく素直に顔に出した俺に向かって、ふふんと、フィーは勝ち誇ったような笑いを返した。
「真生はまだ、本当の意味で人を愛したことがないゆえ分からぬだろうが、真に愛し合う魂というものは硬く結びつき、強く惹き合うものだ。どれほど時や場所が移ろうとも、決して離れることはない。大いなるものの御業によって、そうなるように定められておる。人間の言葉で言うなら、運命というやつだ」
全てを知り尽くしてると言わんばかりの偉そうな顔でそう語ってみせる一方、下手糞な箸使いで、最後に一粒残った米粒を取ろうと躍起になっている。なんかこう、色々と台無し感が半端ない。
俺は軽く肩を竦め、空になった弁当の容器をゴミ袋に投げ込んだ。
「運命、ねえ。だったら何も俺に取り憑いてまで探さなくても、待ってればそのうち会えるんじゃないの?」
「阿呆!」
何気なく言っただけだったのに、途端、凄い勢いでフィーが顔を上げ、かっと目を剥く。
「そんな悠長なことをしていて、その間にもしまたレネに何かあったらどうしてくれる! 私にまた何百年も一人で待ち続けろと言うのか、お主は!」
噛み付かんばかりの気迫に思わず、身を竦めた。大分見慣れてきたおかげか、最初の頃ほど恐怖は感じなくなったものの、やっぱりこの青い目は苦手だ。じっと見つめられると(この場合睨まれているんだけど)、自分がすごく酷いことをしているような、どうにも嫌な気持ちになる。
「ご、ごめん」
「ふん」
「悪かったって。気ぃ悪くしたなら謝るからさ、そんな怒んなよ。てか、俺、ちゃんと協力してやってんじゃん」
鼻息を荒くしてそっぽを向くフィーに謝りつつ、正直ちょっと納得がいかない。
こう言っちゃ何だけど、俺は全く無関係なのだ。指輪の正式な所有者になってしまったのだって、言ってしまえば詐欺みたいなものだし、感謝とか謝罪こそされても、臍を曲げられる筋合いはない。
そんな俺の憤りなど全く知らぬ顔で、食べ終わった弁当の容器を投げ出し、フィーは口を尖らせた。
「協力というのなら、もそっと行動範囲を広げたらどうだ? 毎日毎日、家とバイト先の往復では、見つかるものも見つからぬわ」
「仕方ないだろ。俺にだって俺の生活があんだから」
フィーの言い分は分からないでもないけど、こればっかりはどうしようもない。仕送りのない俺にしてみれば、大学が春休みのうちに出来るだけバイトをして給料を少しでも多く貰っておかねば、この先の生活が苦しいのだ。
「でも、だから、遠回りしてまで大通り通って帰ったり、たまの休みに寝ていたいのを我慢して、用もないのに出歩いたりしてやってるじゃんか。文句言うなら、他の人に取り憑けよ」
いっそそうしてくれたほうが、どれだけ有難いか。
心から出た言葉に、フィーが鼻に皴を寄せた小憎たらしい表情を浮かべる。
「そのようなこと言うても、もう遅いわ。契約を交わしてしまったからにはもう、お主が指輪の正式な所有者なのだ。今更、私の一存ではどうにもならぬ」
その不満げな物言いにむっときて、お前が勝手に契約させたんだろうが。と、声を荒げようとしたところで、『ア・リ・ガ・トー・ゴ・ザイー・マスッ!』という、懐かしくないかと問われたら思いっきり懐かしいと答えるしかないアニメソングが、部屋の何処からか響いてきた。
そういえば今日、あいつと一緒に昼飯を食ったんだった。思い返しつつ、狭い部屋を見回せば、ベッドの上、ちょうどフィーのすぐ斜め後ろで携帯のランプが点滅していた。
「フィー、携帯取って」
「嫌だ」
「フィー」
「断る。自分で取れ」
吐き捨てるようにそう言い、散らかした弁当の容器もそのままに、がさがさと袋の中から買ってきた羊羹(勿論、俺の金で)を取り出す。そのまま無言で包みを剥がし、丸のまま齧り付く横柄なその姿に、プチっと軽く血管が切れた気がした。
「あのな。指輪の中に篭ってりゃいいお前と違って、俺は一日中体使って疲れてんだよ。そうじゃなくても、何もかも俺にたかって好き勝手してんだから、少しは……ぶっ!」
積もりに積もっていた文句をすべて曝け出す前に、携帯が顔面にヒットした。
「いってえな! 何すんだよ!」
「取ってくれと頼まれたから、渡してやったまでだ」
鼻を押さえ憤慨の声をあげる俺に目もくれず、フィーが澄ました顔で、つっけんどんに言う。その憎たらしさといったらもう、例えようがない。レネだかモネだか知らないけど、よくこんなやつと結婚する気になったな。なんか魔術的なものにかけられてたんじゃねえの。
険悪な気分で、しつこく歌い続ける携帯のボタンを押し、乱暴に耳に宛がった。
「はい」
『あぁ、真生? 俺、俺。孝』
「お前、勝手に人の携帯いじってんじゃねえよ」
すこぶる機嫌の悪い俺の声色を気にすることなく、孝が妙に溌剌とした声で、『そんなことよりさ』と、急いたように切り出した。
『お前、今度の土曜、バイト休みって言ってたよな? ていうか、休め』
「はあ? いきなり何の話してんだ」
『いや、それがさ、K女の理沙ちゃん、覚えてるだろ?』
「あー、前の飲み会の時に来てた?」
正直、その子自体はぼんやりとしか覚えてないけど、孝が気に入って懸命に口説いていたことは覚えている。
『そうそう。その理沙ちゃんとついに、ドライブの約束にこぎつけたんだよ』
「あ、そ。そりゃおめでとう。せいぜいアニオタってばれて引かれないように気をつけろよ」
そう言えばあの頃はまだ、フィーの存在なんて知りもせずに気楽だった。
無意識に遠い目をした俺の前で、フィーはまだ剥れているのか、ガツガツと凄いスピードで羊羹を消費している。少しは味わって食えよと再び気色ばんだそのとき、こっちの事情など何も知らない孝が、浮かれた声でさらっと言葉を返した。
『何、他人事みたいに言ってんの。お前も行くんだよ』
「なんで俺が」
『だって俺、車ねえもん。その日、家の車は親父が使うって言うしさ』
「俺だってねえよ」
『皐月さんの車があんだろ。借りろ。いや、借りてください。真生様』
孝の口から出たその名前に、思わず大きな溜息が出た。考えてみれば、この状況のすべてが皐月さんのせいだと言うのに、あの人ときたら全部俺に押し付けて、自分はすっかり高みの見物状態なのだ。まったく、無責任にも程がある。
どうにもやり場のない鬱憤から出たその溜息をどう解釈したのか、孝が携帯の向こうから、擦り寄るように猫撫で声を寄こす。
『なあ頼むよ。理沙ちゃん、可愛い友達連れてくるって言ってたし、お前にとっても損な話じゃねえって。もしかしてもしかすると、彼女いない暦二年に終止符が打たれるかもだぞ』
文末の言葉に非常に心惹かれるけど、致し方ない。孝には悪いけど、今は彼女より元の生活に戻ることのほうが俺には大事だ。それに大抵の場合、女の子の言う「可愛い友達」は当てにならないし。
「ほんと悪いけど俺、今、それどころじゃ……? ちょっと待って」
不意にくいっと袖を引っ張られ、携帯を顔から離す。目を向ければ、いつのまにか隣に来ていたフィーが、いかにも物言いたげな顔でこっちを見ていた。
「なんだよ?」
「ドライブとはあれか? 自動車に乗って遠出するやつか?」
さっきまでの不機嫌さが嘘のように、目をキラキラさせてそう聞いてくるフィーを怪訝に思いながらも、素直に頷く。
「そうだけど?」
「行け。是非ともドライブに行け、真生」
「は?」
「遠出すれば、出会いの幅も広がる。そうなれば自ずと、レネが見つかる可能性も高くなるだろう」
「まあ、それはそうかもしれないけど………」
「そうかも、ではなく、そうなのだ」
心なしか顔を上気させ、いつになく身を乗り出して熱弁してくるフィーの様子に自然と眉間に皴が寄る。言っていることはまあ、正論といえば正論なのだろうけど、何だろう。このそこはかとなく感じる、胡散臭ささは。
疑いの目を向ける俺に、焦れたようにフィーが更ににじり寄る。
「いいから今すぐ、行くと返事をせよ」
そして、携帯を持っている俺の腕を掴んで無理やりあげさせると、にこりと言い放った。
「せぬと、今度はお主だけじゃなく、部屋全部丸ごと水浸しにするぞ」
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