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【 10 】 - 1

 

「えっ、じゃあなに? 魂の形じゃなくて、姿が視えるってわけ? ……だーから、もう緑は要らないんだってば。赤が欲しいの、オレは赤が」

 雨の音とかちかちとボタンを押す音以外、特に何も聞こえない静かな部屋の中、真剣な顔で前を向いたまま、シシィが言う。

「そうだ。しかも、声まで聴ける」

 その隣で、同じく真剣な顔で前を向いたまま、フィーが頷き答える。

「はあ? 声? なにそれ? 有り得ないっつうか、意味分かんねえ。………ちょっと、なんでそこで黄色がくるの。置き場所ないよ」

「私も俄かには信じられなかったが、事実なのだ。それでな、私が思うに………。あ、来た!」

「えっ? あああああああああ!!」

 悲壮な叫びを上げて、シシィが前方の画面を見たまま硬直した。

「ふっふっふ。これが俗に言う、経験の差というものだ。さあ悔しがれ。泣き喚け。私に勝者の醍醐味を味合わせるが良い」

 フィーが無駄に肩を聳やかし、勝ち誇った声で言い、いまだベッドの上の俺を振り返る。

「見たか、真生。十三連鎖だ、十三連鎖」

「………良かったな。おめでとう」

 その愉悦に浸る幼い笑顔に、寝起き一番のがらついた声でそう返して、俺は目やにを取りつつ苦く微笑んでやった。それから、目が覚めてからこっち、まだ完全に起きていない頭でぼうっとしつつも、ずっと考えていたことを口にした。

「…あのさ、訊きたいことが色々あるんだけど…」

「オレもある。このゲームの必勝法を教えろ、人の子。さっきから一回も、銀の姫に勝てない」

「いや、まず、俺の話を聞いて」

 いかにも悔しげな顔で急くように口を挟んできたシシィを止めて、フィーとシシィの両方を見る。

「あのさ、なんで朝っぱらから俺の部屋に、シシィがいるの?」

 二人の喋り声で目が覚めた。目を開けて見ると、部屋にオレンジ頭がいた。銀髪頭と並んでテレビの方向を向いて、コントローラーを握り締めて座っていた。状況を理解して、むくりと起き上がるまで、軽く三分はかかったと思う。そんな俺に、やっと起きたか。と声は掛けてきたものの、全く気にすることなく、二人はひたすらゲームをしながら、昨夜病院であった一部始終について、今の今までずっと色々と話し合っていた。

 部屋の主として当然の俺の問いかけに、フィーはコントローラーを放すことなく、呆れたように言う。

「何を言うておる。もう朝っぱらではないぞ。昼っぱらだ」

 確かに、時計を見ればもう昼過ぎだった。昨夜病院から戻ったのが朝方だったから、これは仕方ないと思う。時計を見るついでに横目で、カーテンが全て開け放たれた窓を見れば、景色が暗く、ガラスに水滴が幾つも滴っていた。いつから降り出したか知らないけども、結構降っているらしい。徐々に、しっかりと脳が起きていく。それを感じつつ寝起きの習慣で、ぼりぼり頭を掻きながら、欠伸交じりに口を開く。

「うん。まあ、朝でも昼でもいいんだけどさ。そういうことじゃなくて……」

「銀の姫に呼ばれた」

 俺の疑問に、シシィが短く的確な答えを返す。その答えにフィーを見る。フィーは小さな肩を竦めた。

「何があるか分からぬし、シシィがおったほうが良いかもしれぬ。別に良かろう。悪さはさせぬ」

 悪さってなんだよー。と、口を尖らすシシィを無視して、フィーが澄ました顔で言う。

「そんなことより、起きたならば真生。いつまでもベッドの上でぼけっとしてないで、茶」

 その姿をまじまじと見ながら、再度俺は口を開いた。

「うん。そんなことより、訊いていい? お前、なんでその姿に戻ってんだ?」

 昨夜部屋に帰ってきた時点では、大人……というか、本来の姿をしていたはずのフィーは今、また十三、四歳くらいの少女の姿に戻ってしまっている。まさか、本当に昨日のあの一件で、力を全部使ってしまったのだろうか。何やかんやで、俺が勝手ばっかりしたせいなのか。

 内心で、少なからず心を痛めた俺を尻目に、フィーが淡々とした声を返す。

「いざという時のために、力を温存しておこうと思うてな。人の世にある精気は濁りすぎて、本来の姿を保つにも力がいる。こちらの姿のほうが負荷が少ないのだ」

「…ふうん…」

 まるで、前髪が長くて邪魔だったから切ったというくらいの軽さで言って、フィーはテレビのほうに顔を向けた。俺は適当な相槌を返して、その横顔をしげしげと見やった。

 シシィを呼んだり、力を温存させたり、フィーはフィーなりに彼女達に対抗する策を練っているということなのだろう。えらくさっぱりした顔をしているけど、昨日俺が寝てから、一人で考えて一人で色々決めたんだろうか。力がなくなったってわけじゃなくて良かったけど、それにしても。

 何も一人で全部背負い込もうとしないで、俺に相談しながら、一緒に考えればいいのに。まあ俺の考えなんて、何の役にも立たないかもしれないけど。でも、俺に関わることなんだから、シシィだけじゃなくて、俺にも色々言ってくれればいいのに。それほど頼りにされてないってことか、俺は。まあ、こいつにとって俺は、子供扱いだしな。

 昨夜のことを思い出しつつ、少し捻くれた気分で、服の中に手を入れて腹を掻く。と、フィーがくるりと顔をこっちに戻した。

「腹を掻く暇があるなら、さっさと茶を淹れよ。お主が起きるのを待っておったのだぞ。早うせぬか」

「そうだぞー。起こせばいいじゃんって言ったのに、銀の姫ってば、かわいそうだからって、ゲームの音まで消してお前の睡眠優先にしてやってたんだぞー。というわけで、オレにも茶」

 不満顔のフィーに便乗して、シシィまで不服そうな声を寄越す。

「何が『というわけで』なんだ」

 俺は両者に白い目を向けて返した。

「ゲームの音消してたって、同じ部屋でぺちゃくちゃ遠慮なく喋られたら、起きるっつうの。つうか、俺の睡眠優先するくらいの気遣いが出来るなら、お茶くらい自分達で淹れろよ」

「だって、お前の茶ってやつ、美味いって銀の姫が言うからさ。飲んでみたいじゃん?」

 微塵も悪びれる様子なく、シシィが無邪気に笑って言う。

「でさあ、銀の姫から聞いたんだけど、羊羹っていうの? それ、オレにも食べさせてよ」

「ああ、そうだ、真生。シシィにも食べさせたい。羊羹を持って参れ」

 女主人のごとく、フィーが顎で俺に命令する。俺は召使いか? 下僕か? つうか、持って参れって、いつもあるだけ全部食い尽くすくせに、ストックなんてあるわけないだろ。買ってこなきゃ、ないものを持って参れるか。

 胸のうちに溜まっていくそんな不満を、ミュートにされているテレビ画面を見ることで少し落ち着ける。どうやら、こいつらなりに寝ている俺に気を使っていたことは本当らしい。軽い溜め息を吐いて、ベッドから立ち上がる。

「まあ、別にいいけど。つうか、その前に俺、風呂入りたいんだけど」

「風呂?」

 すかさず、フィーが声を返す。

「ああ、風呂っていうか、シャワー」

 昨日はさすがに疲れきっていて、帰り着いてすぐに寝てしまったから、風呂に入ってない。今日は夜からバイトもあるし、レネ探しだってしなくちゃならない。その前に、孝の病院にも寄りたい。そういえば、孝から電話かメールが着てないだろうか。

 立ち上がったその足で、炬燵の上に置いていた携帯に手を伸ばす。そんな俺の動作を見ながら、フィーがコントローラーを置いて、すくっと立ち上がった。と、思ったら、とんでもないことを言い放った。

「私も一緒に入る」

「はあ?」

 思わず、携帯を見るのも忘れて、フィーを見る。フィーは冗談だろうと思うくらい、大真面目な顔をしていた。

「一緒に入るって、なに言ってんだ、お前」

 有り得ない。同性ならまだしも、フィーは思いっきり異性だ。一緒に風呂とか、有り得ない。いくらフィーが精霊で、俺を子供みたいに思っていても、こっちが思えない。今まで一度だって、そういう最低限のプライバシーには介入してこなかったから、そこらへんのことは弁えていると思っていたのに何なんだ、突然。

 殆ど変態を見るような目でフィーを見るも、フィーは少しも動じることなく、堂々と見返してくる。

「いくら私の結界の中とは言え、水場に、お主を一人になど出来ぬ。これからは、トイレも一緒に行くからな」

「はああっ?」

 決定事項を告げるようにきっぱりと言ってのけるフィーに、思いっきり奇声を返して、声を荒げた。

「やだよ! 冗談じゃない!」

 何が悲しくて、トイレまで見られなきゃいけないんだ。性別関係なく、それは嫌だ。フィーの心配は分からないでもないけど、それだけは嫌って言うか、無理だ。そんな羞恥プレイ、断固断る。

 混乱に焦る俺を顔色一つ変えず見ながら、フィーがあっさり言う。

「じゃあ、風呂もトイレも諦めろ」

「無理」

「ならば、私も同伴する」

「もっと無理!」

「無理でも何でも、そうすると決めたのだ。文句は言わせぬ」

「言う! 文句言いまくる! てか、絶対嫌だ!」

「まあまあ。落ち着けよ、二人とも」

 押し問答を繰り返す俺達を見ていたシシィが傍らから、座ったまま口を挟む。

「銀の姫。肉体で生きてる動物に、水浴びも排泄もするなっていうのは、さすがに無理だとオレも思うぞー。それに、人の子にとって排泄行為は、どういうわけか極端に恥ずかしいものらしいし、他人に見られたくないっていうのも仕方ないんじゃないかなあ」

「命と恥と、どっちが大事だと思うておる」

 暢気に胡坐をかいたまま言うシシィに、フィーがキッと、睨みと一緒に言葉を返す。シシィは軽く肩を竦めながらも、怯むことなくフィーを見返した。

「んな怖い顔すんなってば。この部屋には、結界が何重も張ってあるし、水道管ってやつにも下水管ってやつにも結界張ったんだろ? そこまで過保護にならなくたって、大丈夫だって」

「そなたは、他人事だと思うておるから、そんな悠長なことが言えるのだ」

 苛立ちの混ざったフィーの言葉に、シシィはむすっとした顔で、声を尖らせる。

「ひっでえ。他人事だなんて思ってないよ。銀の姫にとって大事なことは、オレにとっても大事なことだ。お前はオレの二番だからな」

「二番? 三番の間違いであろう」

「いいや、二番だ。昔からずっと二番だ。それはずっと、変わらない」

 つれなく言って返すフィーに負けることなく、シシィは、はっきりと言った。フィーはその答えに口を噤んで、推し量るようにシシィを見る。その視線に、シシィが明るい笑顔を返す。

「そんなにその人の子が心配なら、オレも、そいつに保護結界を張ってやるよ。知ってるだろ? 風の保護結界を破れるのは、大気の母と地の賢者だけだ。だから、あんまりカリカリすんな。度を過ぎる不安は、お前の精気に良くない」

 その言葉に、はっとなって俺はフィーを見た。昨日確か、水は衝動に弱いとか言っていた。俺のことでフィーが不安を募らせることが、そのままフィーの精気に関係するのだろうか。憎しみの感情で精気が腐ったと言っていたから、不安だって同じくらい影響があるのかもしれない。だとしたら、本当に良くない。なるべくフィーを不安とかそういう感情から、遠ざけなきゃいけない。

 でも、トイレだけは、どうしても嫌だ。風呂は百歩譲って我慢しても、トイレだけは、せめて大の時だけでも、プライバシーを死守したい。シシィがその保護結界とやらを俺に張ってくれるなら、フィーも不安を薄めてはくれないだろうか。

 そんなことを考えている自分がひどく場違いに思えるほど、シシィは爽やかな笑顔をフィーに向けていた。

「オレだって、あの時お前とあいつを守れなかったこと、悔しいんだ。今度は絶対、守るから。オレを信じて」

 さらりと、だけど力強く、シシィは言った。こう言っては何だけど、遠慮がなくて子供っぽくて、鈍感で、何を考えているかよく分からない。俺の中のそんなシシィのイメージが百八十度変わるくらい、その声は頼もしく響いた。胡坐をかいて座っている、派手なオレンジ色の髪をした見た目十五歳くらいの少年の彼が、物凄く頼もしい、頼れる大人の男に見える。それは、フィーも同じだったらしい。

「シシィ…」

 彼を見たまま、そう小さく呟いた声に感嘆が篭っていた。まるで弟の成長に感動する姉ような眼差しで見やるフィーと、単純に、その予想外の頼もしさに少し驚いた俺の、両方の視線を浴びながら、シシィが図ったように表情を変える。

「だから、全部終わったら、その人の子、オレにちょうだい?」

「結局、それか!」

 にいっと笑って無邪気に言い放ったシシィに、フィーと俺の、力が抜けた突っ込みが重なった。

 

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